平和への祈り:若い特攻隊員達と母親達の口に出せない思い。

母親の思いはどの時代であろうとも。

今日はプライベートです。

私は公務員ではありません。
今の所、家族にも公務員はおりません。

一個人の二人の子供の母親として

『10代20代で特攻隊として死なせるために生んだ訳じゃない。』
きっとそう思っただろうな。

っていうブツブツを今日は書きます。

どんな形であれ我が子が親より先に納得のいく逝かせ方などあるわけがありません。
その中でもこの持っていかれ方は実態もなく見たわけでもない我が子の死を突然突き付けられる。
どう処理したら良いというのか。
そういう思いをした人が数えきれないほどいただろうな…と改めて思うんですよね。

私人として参る行為は宗教活動ではないと私は思う。

2024年1月12日金曜日のNHK朝ドラ 「ブギウギ」
趣里さんの話し方や仕草を見ていると
勝手に水谷豊さんと重なる。
お顔は蘭さん似かな?
ほんまに可愛らしい。
親子だな〜って思う。

保育士していた頃
何故か新入園児の担任をすることが多かったのですが
自分のクラスの園児さん
だいたい30名の名前とお顔を、あの頃は数日で記憶できていて

だから親御さんがお迎えに来られると
どの園児さんの親御さんか直ぐに分かる。

職業病かしら?😂
(もう今じゃ顔と名前を一致させることが困難ですが💦年だわ!🤣)


この日の朝ドラの後の朝イチでは(2024/1/8~12放送)
茨田さん役の(淡谷のり子さんがモデル)菊池凛子さんがゲストに出ておられて
かなり歌の練習をされたんだなとお話を聞いて思いました。

その中で淡谷のり子さんが「徹子の部屋」に出ておられたときのVTRも流されてました。
ご覧になられた方はご存知だと思いますが…

少し重いシーンですが
いつ命令がくだるか分からない特攻隊員に茨田さんが歌うシーン。
特攻隊役の人たちは気持ちをそこに持っていくため
当時のことをかなり勉強され皆さん坊主にしてあのシーンに臨まれたそうです。

実際は
淡谷さんが歌っている最中に何名かの16歳くらいの青年達が
特攻隊として命令がくだり飛び立っていったと
淡谷さんは『徹子の部屋』でお話されています。
隊長の方に聞いたら彼らの平均年齢は16歳だと。
泣けて泣けて歌が歌えなくなったとお話しされていました。

彼らはここから飛んでいったら2度と戻ってはきません。

それでも彼らは淡谷さんに対し
にこやかに笑顔で行かれたそうです。

もう一度言いますが
平均年齢16歳の青年達です。
(勿論20代30代、何歳であろうともご家族にとって、かけがえのない大切な存在です。)


私の住んでいる生駒大社さんには
瀬織津姫の祓戸社があり
摂社・末社も沢山あります。
(生駒大社さんは今でも皇室とも深い関わりがあります。)
観音様もおられます。

でも私は1箇所だけ
どーしても参れないところがあります。

英霊殿です。
※念の為…ここに特攻隊の方が含まれているかは分からないです。

生駒大社境内

その人たちが居てくれたからこそ
今があるという思いがあって
だからこそ恐れ多くて参れない💦

なので手前で頭だけ下げて通ります。

毎年のように夏になると?
いえいえ、ある神社を参ると
ヤイヤイ聞こえてくることがありますが
宗教とか、そういうの超えたところで
その方々の存在あっての今だということは間違いないと私は思っている。

恐れ多くて参れない私が言うのもあれですけど

お国のために命を落とされた方々へ
感謝や頭を下げるのは
私はいけないことだとは思わないです。

ここに何か
宗教関係ありますやろか?


(あるニュースを見て私が感じたことです。
ただ、そのお参りされた方達がどんな思いで参られたかは私は分からないので
そこは私の思いと重なっているかは別のお話です。
ですから、ここから先はお参りするという行為と母としての思いを書きますね。)


私人としてなら良い。
公務員としてはダメ。

一応頭では理解はします。

それがこの国の決まりなんでしょう。

でも、私人としてなら良いのであれば
制服を脱ぎ、時間給を取って参るのは問題ないと私は思いますし
ましてお参りする行為自体、宗教関係ないです。

布教活動しているわけではないんですから。

しかも私人として です。
軍服も着ていない、時間給も取っている。

もし、そこに何か言えるとしたら
誰かに強要したと言うなら、それは引っかかるかもしれんですよね。


(職業によって参ることを禁止する前に
一人の人間として参ることも許されないって

生き苦しいなと思う。)


とは言っても、表に出せない何か私の知らない理由が他にあるかもしれない。

でも、私は今、一個人の二人の子供を持つ母親として強く思うのは

あの当時は誰もこんなこと思っていても口にできなかったかもしれないけれど

『10代20代そこらで特攻隊として死なせるために生んだ訳じゃない。』

私ならそう思います。

それでも、持っていかれた母親達の思いや
そんな若さで命を散っていかされた人たちの思いを考えた時

頭を下げ、感謝するのは私は何も悪いことだとは思わないです。

だって、その行為自体、彼らの本意ではなかったと思うから。
彼らは言われた通り自分の意思関係なく従うしかなかった。
自ら志願する選択をするしかなかった。
そういう風潮を植え付けられ
そうせざるを得ない状況に追い込まれ
死を選ぶか
非国民と呼ばれても生きることを選ぶか


色んなことを考えたと思うから。

自分が感じていることを表現することを自分に許すということ。

私は今までこういうことは感じても触れて来なかったのですが
(ああ、感じているなとは思うんだけどね。)
感じたら表現することを自分に許していく流れが起きているなと思うんです。

まぁ奇抜なことなんかは出来るだけ安全な場所で…が良いとは思いますけどね。
(今回の内容も結構ギリギリラインやわ〜と思う。)

だけど、誰が好き好んで
自分の子供を先に逝かせることを
喜んで差し出すことができようか…

って思ったので。

親が子供を先に見送るって
本当に身がちぎれるほど辛いことです。

今でも世界の何処かで起き続けている。

それによって得ている人もいるのも現実ですが

人を使うやり方は気持ち悪いなと私は思います。

もし自分の問題なのに誰かにその問題を解決してもらう行為って
『おいおい、それ誰の問題?』
ってなるのにね。

今日の画像は祈りを込めて…
空に虹をイメージしました。

お国の為とはいえ本当は誰も喜んで差し出したわけではない。
母親達一人一人の想いを感じた時
駒のように扱われたとは思いたく無い気持ちと
戦争ではなく「平和への祈りと願い」がそこにあっただろうなと思うんです。

それはとても複雑な気持ちだっただろうなと…


一人でも多くの人の空の下
穏やかで
笑顔で
平和な日々が降り注ぎますよう

祈っております。


今日は長いブツブツでした。

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