償いと責任は一対のようで…
償いと責任は一対のようで…
その奥にあるものは目に見えないけれど、もっと大きいものだと私は感じています。
その人が侵した罪はその人が償わねばなりません。
ですが、その人のそれまでに深く関わってきた近親者達は
全く自分には非が無いと言い切れるのだろうか?
育むべき時に育みを受けられなかったその人だけの責任と問題でしょうか?
誰でも生きていれば
その生きてきた時間の経験の積み重ねから
誰かを傷つけたり
誰かの言葉に行動に傷ついたりすることはあります。
これはすごく当たり前のことです。
ただその傷の背景が何なのか自分でも分からないことで
引き続き誰かを傷つけてしまったり
誰かの言葉や行動に傷つき続けるとしたら
それはとても苦しいね。
どこかのタイミングでそれは自分のせいではなかった。
そう思える日が来ると良い。
そして次に進めると良いですね。
今日はそんな呟きです。
本日の音声配信 stand,fm
事象として見えているものはその人単体だけの責任のように見えます。
確かにそうなんですが…
その奥にある目には見えないもっと大きなもの。
そこを見る勇気が持てたら、きっと少しは
同じパターンから抜け出せる日が多くなると思うんです。
その繰り返しで軽くなれると良いですね。
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