いつも夫婦関係で我慢しているあなたの代弁者として言いますね。
自分が大切に思うもの。
自分が大切にしているもの。
があるように
相手にも大切に思うもの。
相手にも大切にしているもの。
があります。
同じものを大切に思い、同じものを大切にしていなくても
その何かを大切に思う気持ちはお互い理解できるはずです。
ならば
自分にとって何の価値を感じなくても
相手が大切にしていることを
踏み躙る行為は
相手の心を傷つけて当然です。
それは
「そんなことで?」
と言うことも、思うことも
人として間違っています。
そしてそういう事を理解できない自分を
恥てください。
幼少期は人の気持ちを理解できなくても経験を経て成長するのです。
子供は他人の気持ちなんか理解できなくて当たり前です。
自分の世界で遊んでいた2歳から3歳。
その頃は一緒に並んでお団子を作っていたとしても
一緒に遊んでいるわけではありません。(並行遊びの段階です。)
言葉を覚え会話ができるようになり幼稚園に通い出すと
「自分がいてお友達もいるんだ」
ということに徐々に気がつき始めます。
(遊具の貸し借りや言葉のやり取りが始まる。)
一緒に遊ぶようになり少しずつ自分の思う通りにいかないことが起きて
ストレートに言葉をぶつけた時
相手が傷ついて泣く😭
そして相手からもストレートに言葉をぶつけられて
自分も傷ついて泣く😭
ここで人は徐々にその経験を通して傷付け、傷付けられることで
人とのコミュニケーションを学びます。
人は自分の思う通りにならない。
思う通りになってくれる人を探す。
自分より弱いか強いかで力関係を確認し合う。
自分の心が相手の言葉で傷ついたように相手も自分の言葉で傷つくのだ。
など。
仮に頭が良いからと言って人を思いやる心の賢さはイコールでは無い。
人の学びのプロセスは
お勉強がよくできる知識と人との関わりについての知性とは内容が違うので
お勉強ができても人との関わりについての学びの時間のかかり方は個々違います。
Googleより↓
『知識とは、学校や塾で学ぶ歴史の事実や数学の公式、言語の文法など
具体的な情報やデータのことを指します。
一方、知性とは、自身の豊富な知識や会話力、判断力などを、独りよがりではなく
相手の立場を尊重しながら発揮できる能力です』
だから仮に頭が良いからと言って人を思いやる心の賢さはイコールでは無いのです。
それでも人は成長できます。
「そしてそういう事を理解できない自分を恥てください。」
↑なんて強く書きましたけど…
理解できていても他人を思いやれない人も中にはいるかもしれません。
自分の育ってきた環境下で自分がいつも理解されてこなかったとか、思いやって貰えなかったとか
そういう経験が怒りとなって弱い者に対して「やる側に回る」こともあると思っています。
ある意味、被害者だったけれど加害者になるということです。
もし、そうであるとするならばです。
それでも人は時間がかかったとしても成長できます。
そのことを忘れないでいて欲しいと思います。
それでも人は時間がかかったとしても
成長できるのです。
本日の音声配信 stand,fm
頭が良くても他人を思いやる心の知性はイコールでは無い。
目に見えない心の育みは授業では教わることはできないからね。
心の痛みは仮に自分が経験してもその痛みを味わった時の自分が置かれていた環境によって
受け取るものが大きく違ってくると思うから。
それでも人は時間がかかっても成長できます。
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