心理カウンセリングを受けるとしたら私はどんなカウンセラーを選ぶやろう…
節分の日、土地神さんである生駒大社へお参りに行ってきました。
この時のことをFacebookでも投稿したんですけどね。
生駒恵比寿さんの日で、商売繁盛のお札もいただきに…
(多くの神社さんでは1月9日10日11日に「十日戎」で恵比寿祭りだと思うのですが
生駒大社さんでは毎年2月の節分に行われています。)
恵比寿さんにお参りしようとした時
ふと思ったんですよね…
心理カウンセラーとして
私はどんな言葉を届け、どうありたいのやろうか?って。
SNSで言葉を届けるということ
正直に言うと
昔はSNSであまり深く考えずに感情のまま吐き出していた時期があります。
無自覚に決めつけた発信や
どこかジャッジを含んだ言葉も、きっとあったと思います。
今思い出すと、
「うわぁ…恥ずかしい〜〜💦」
ってなります(笑)
でも、それも当時の私。
未熟さごと引き受けながら、少しずつ学んできたんやと思います。
SNSという場の影響力も
対人支援者として言葉を出す重みも
あの頃は十分に分かっていなかったんやと思います。
だからこそ今は、立ち止まって考えるようになりました。
もし私が、、、
心理カウンセリングを受ける立場だったら?
カウンセラー選びをしている側だったら?
どんな人に話を聴いてほしいやろう。
どんな言葉を発信している人に
「この人なら安心して話せそう」
と感じるやろう。
そんなことを、考えるようになりました。
感情を持たない支援者でありたいわけじゃない。
だからといって
いつも穏やかで
何も感じない支援者
…でいたいわけではありません。
毒を吐きたい私もいます。
文句を言いたくなる私も、勿論います。
生きていたら、色んなこと(我が家の中での事件)が起きます。
何も感じることなく
いつも同じ調子でカウンセリングができるとしたら
それは血の通った人間ではなく神の領域というか境地の人かな。
…と私は思うんです。
私も心理カウンセラーである前に
まだまだ未成熟な一人の人間なんですよね。
だからこそ、大切にしたい「境界」
ただ一方で、強く思うことがあります。
それは
感じたブラックな感情を
どこで、どう扱うか
ということ。
怒りや違和感を、公のSNSで
職業を前面に出しながら共有すること。
仲間から共感を集める形で
誰かを暗に断罪すること。
私は、それはしたくない。
そういう在り方は選びたくない。
と思っています。
ブラックな感情は
安全に出せる場所で出す。
尊敬できる支援者にお願いして、繰り返し、繰り返し整える。
そして心理カウンセリングの場では
相談者さんのために整えた自分で在りたい。
それが、対人支援という仕事への私なりの誠実さやと思っています。
安心して話せるカウンセラーであるために
幼少期に安心や安全を感じられなかった人は
大人になってからも
無自覚に一人で抱え込んでしまうことがあります。
(だからこそ私はこの場は
「安心」と「安全」と「温もり」の場でありたいのだと…
”荒々しい自分”も居るからこそ強く思い続けているのだと思います。
荒々しい自分🟰それらを渇望し続けていた自分。です。)
人に頼ることが難しい。
助けてほしいのに、「助けて」と言えない。
そんな人が少し勇気を出してカウンセリングを受けてみようかな…と探すとき。
「この人なら大丈夫かもしれない…」
そう感じて来られる「場」でありたい。
・感情を否定しないこと。
でも
・場を大切にすること。
・信頼関係を一つひとつ丁寧に築いていくこと。
その両方を忘れずに、屋号の名の通り
温もりのあるカウンセリングを受けられる場。
ここはそんな場であり続けていく。
生駒大社の恵比寿さんの日。
神社で手を合わせながら
改めてそんな「場の在り方」を確認しました。
血の通った人間として。
そして心理カウンセラーとして。
これからも言葉を大切に届けていきたいと思っています。
カウンセリングを受けると決めるまでには、きっと誰もが
それ相当の勇気が必要だと思います。
うまく話せなくても大丈夫。
私達心理カウンセラーは
言葉にならないその思いごと、一緒に受け取ります。
本日の音声配信 stand,fm
カウンセリングにクライエントさんが来られる時の目的は
それぞれだけど
カウンセラーは常にクライエントさんの「今」に注目し
心と思考の一致を大事にしております。
参考になれば幸いです。


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