幼い時期の失敗は大人から見たら大抵は小さいから。
自分で考えて何度でも繰り返し選択と失敗する権利を。
大人という年齢になっても私は「選択の自由」が怖かったです。
以前話したかもですが、服は幼い頃から親が買ってきていて
花嫁衣装も親が決めたし(彼らにとってそれは良かれと思ってですが^^;)
結婚して子供ができても不定期で母親から服が送られてくる。
NOが言えないし、言ってはいけないのです。
私の考えは親から見たら浅はかだから。
親の行動は「私のために良かれと思って」の行動だからね。
なので服一つとっても自分の服はどこに売ってるのか分からないので
百貨店へ夫に連れて行ってもらい探すんだけど…
「この辺りの服がええんちゃう?」
って言われて見てみるけど、どれが良いか試着しても分からなくて
結局夫に決めてもらう。
自分の気持ちや考えを奪われてしまうと
こんな大人ができあがってしまうんですよね。
自分で決めることが怖くてできない。
何でも自分で考えなくても周りが決めてきたから。
だから、仮に「自分で決めていいですよ。」って言われたとしても
怖くて決められない。
なんせ、親の目から見て私が親の思った通りのことをしなければ
それは失敗なんですからね。
まずここを頭の片隅に入れておいてもらって…
(私の例は極端な例ですが😅)
大人になって社会に出た時、聞きなれないことを言われます。
「どちらを選んでもいいですよ。」
(おお!ここでは自由に選んでも良いのか!)って思った瞬間
「でも、どちらを選べば良いか自分で決められますよね?」
誘導・コントロール・支配
ええ〜〜〜???
え?どっち?どういうこと???
私の脳内は混乱してパニックです。
そしてその人が急に怖くなります。
(何かに反応してるからですね。
まぁ、何に反応して恐れているのか分かると思いますが。)
次にカウンセリングを受けて回復の道を歩き始めた頃
こういう人に出会うと怒りが湧くようになります。
「は?それは誘導やろ?」と心の中で呟くか実際に言えてしまう。
ちゃんとそれをキャッチしたり感じられるようになるからですね。
「どちらを選んでもいいですよ。」
「でも、どちらを選べば良いか自分で決められますよね?」
これは選択の自由を与えているようで無言の圧をかけて誘導しようとしています。
無言の圧力って圧に力なので圧迫されて人によっては
何かに反応してフリーズするんです。
・もうそれしか選択種はないよね?
・それ以外を選ぶっておかしいよね?
って裏メッセ入ってますからね。
言うてることと態度の違いは混乱を引き起こす。
あと、口で言ってることと
態度や表情に一致を感じられないチグハグな態度で圧をかけられるのも
言われた本人は辛い。
何を信じたらいいのか分からなくなり人を信頼することができなくなります。
どちらにせよ、この両者の場合
相手に対して尊重という言葉は程遠く微塵も感じられない。
さらに混乱するのが、本当に「自由に決めていいんだよ。」
って言ってくれる人にも出会った時です。
すでにそれまでに人に対して信頼できない状況になっているので
信じられないんですよね。
あとで何か言われるんじゃないかとか…
もう怖くて仕方がない。
子供にはプラスの質問をして考えと気持ちを一致させてあげること。
幼い頃の育ちって、本当に大事な時期です。
周りが…じゃない。
自分がどうしたいのか。
自分の考えは何なのか。
自分は何を感じているのか。
そういったことに対して一人の人間として尊重されて育つと
自分に対して自信がつくし
失敗してもそれを暖かく見守ってもらえてきたら
困難に立ち向かう勇気も育つでしょう。
あなたはどうしたいと思っているの?
あなたの考えはどうかしら?
あなたはその時どう思ったの?(感じたの?)
こんな質問を投げかけてもらうことはとっても大事です。
当然それが失敗する結果になるだろうと予測されたとしても
「よし!じゃぁ次それやってみよう!」って受け止めてもらうことも大事。
社会に出て組織に属したら当然チームを組んで仕事をしていくことになります。
その時、この育みは必ず役に立ちます。
なぜなら、自分を知っておかないと周りが見れないからです。
誰かを中心におけば自分の立ち位置が揺らぎます。
それでも諦めないでほしい…
私達の世代は多分、親が昭和の世代ですから
私に似たような生い立ちの人は少なくないと思われます。
(自分で決めるという点ね。)
それが教育だと
それが躾だと
思って信じて子育てをしてきた時代でしょうから。
(世間の目を気にしてとか人様に迷惑をかけないとか。)
だけど今の時代は心を大事にする時代に入り
そこについていけない世代も多いですね。
私は本当に今思えば振り返ってみると大変だったなって思います。
理解されることも難しかったし
理解することも難しかった。
人との繋がりも築きにくく、人を信頼することも困難でした。
「どうせ、〇〇って思われているに違いない。」
こんな思考は最初から私が持っていた思考ではありませんが
人とはそういうものなんだと思わされてきましたからね。
そして実際そういう人もいる。
だけどやっぱり最後は自分が誰と繋がりを持つかなんだと思います。
これこそ自由に自分で選択できますからね。
もう、私もあなたも、あの幼い頃の私じゃないからね。
必ず居ます。
あなたに寄り添い、手を取り合い助け合える仲間は必ず居ますから。
コメント