必要とされたい気持ちが強くなりすぎるとき
人は誰かに必要とされると、うれしいものです。
「藤田さんがいてくれてよかった」
「話せて楽になりました」
「また相談したいです」
そんな言葉をいただくと、心が温かくなりますし
私も人間なので、そりゃ嬉しく思います。
けれど、その一方で、
「必要とされ続けなければならない」
という思いが強くなりすぎると、知らないうちに自分を苦しめてしまうことがあります。
これはカウンセラーという仕事に限らず、
親子関係、夫婦関係、人間関係、仕事、子育ての中でも起こりやすいことだと思います。
例えば、子どもが巣立つ時や、パートナーから必要とされていないように感じた時、
心がざわつくことがあるかもしれません。
誰かの役に立ちたい。
大切な人を助けたい。
困っている人の力になりたい。
その思い自体は、とても尊くて、あたたかいものです。
けれど、そこに
「必要とされなくなったら、自分には価値がない」
「相手が離れていったら、自分の存在が否定されたも同じ」
「もっと頑張らないと、見捨てられてしまう」
という不安が混ざってくると、だんだん苦しくなっていきます。
ただ、そういった不安を感じること自体が、ダメというわけではありません。
大切なのは、
「私は今、必要とされなくなることに不安を感じているんだな」
と、自分が自分の気持ちを知っておいてあげることだと思います。
むしろその思いを無意識に見ないようにしたり、抑えること。
その積み重ねからで出てくる苦しさの方が、辛いことがあると思うのです。
必要とされ続けようとすると、自分を置き去りにしてしまう
誰かに必要とされ続けようとすると、私たちは無意識に無理をしてしまうことがあります。
本当は疲れているのに、休めない。
本当は嫌なのに、断れない。
本当は助けてほしいのに、平気なふりをする。
本当はもう限界なのに、「まだ大丈夫」と自分に言い聞かせる。
そうしているうちに、相手を大切にしているつもりが、
自分の心を後回しにしてしまうんですね。
もちろん、それでうまく回っているうちは良いんです。
けれど、自分も周りも苦しくなってきた時には、
「私は少し無理をしすぎているのかもしれない」
と、気づいてあげてほしいのです。
特に、幼い頃から家庭の中で
「いい子でいなければならない」
「迷惑をかけてはいけない」
「役に立たなければ愛されない」
と感じてきた人は、大人になってからも、
人間関係の中で同じような頑張り方をしてしまうことがあります。
誰かの期待に応えること。
誰かをがっかりさせないこと。
誰かの機嫌を損ねないこと。
それが当たり前になっていると、
自分が何を感じているのか、
自分が本当はどうしたいのかが、
わからなくなってしまうと私は思うのです。
「うまく馴染まなければ」ではなく、「今日は娘と楽しもう」と思えた日
私自身にも、こんな経験があります。
夫の転勤で中国地方から東北へ引っ越した時のことです。
当時、イケメン息子は小学一年生、べっぴん娘は幼稚園の年長さんでした。
その前に住んでいた中国地方では、人間関係でかなり痛い経験もしました。
けれど同時に、その経験の中で、私を支えてくれる人たちにも出会いました。
その支えがあったからこそ、東北へ引っ越した時、
「ここで無理に誰かと繋がらなければならない」
と、自分を追い込まずにいられたのかもしれません。
中国地方を離れる時、ある方がこんな言葉をかけてくれました。
「あなたは確かに、ここから居なくなる。
でも、あなたと関わった人たちの心には、残り続けるからね。」
その言葉は、東北でまだ誰も知らな土地に引っ越した私にとって、
大きな支えになりました。
(今でもこの言葉に私は支えられている。)
べっぴん娘が転園して、まだ数週間しか経っていない頃、
幼稚園の親子バス遠足がありました。
行き先は、さくらんぼ狩り。
私はその土地に来たばかりで、知り合いはまだ一人もいない状況です。
過去の私なら、きっとかなり緊張していたと思います。
「誰かと話さなければ」
「お友達を作らなければ」
「変に思われないようにしなければ」
「娘が寂しい思いをしないように、私がうまくやらなければ」
そんなふうに、過去の私なら頭の中がいっぱいになっていたと思う。
でも、その時の私は「今日は娘とさくらんぼ狩りを楽しもう!」
そう思えていたんですね。(支えのパワーって凄いよね。)
バスで隣の席になった方に、
「初めまして。転勤で来たばかりなんです。よろしくお願いします。」
と声をかけると、その方も
「私も仕事をしているので、あまり知り合いがいないんですよ。」
と笑って話してくださいました。
さくらんぼ狩りをしている時にも、
「あら?見かけない方ですよね?最近来られた?」
と声をかけてくださる方もいたりして…
関西弁で娘と話しているということもあって、そこから出身地の話になり、
「それなら、〇〇さんのお母さんと同じだよ」
と別のお母さんを呼んでくれたりして、
気がつけば、自然と周りに人が集まってきてました。
お弁当の時間にも、その流れでそっと輪の中に入れてもらえて、
娘も楽しく過ごせたようでした。
もちろん、最初から何も緊張しなかったわけじゃぁないです笑
けれど、あの時の私は、
「ちゃんと馴染まなければ」
「お友達を作らなければ」
「よく思われなければ」
という外側の評価に自分を合わせようとしていたのではなく、
「今日は娘と楽しむぞ!」
という、自分の中の大切な目的を忘れずにいたのだと思います。
誰かからの評価や、人とつながらなければならないという思いが強くなると、
私たちは無意識に自分をコントロールしたり、矯正したりしてしまいます。
でも、自分の中にある本来の目的に戻れた時、
外から何かが襲ってくるような感覚は、少しやわらぐのではないかと私は思うのです。
「私が私を苦しめないこと」
最近、改めて大切だと感じていることがあります。
それは、
「私が私を苦しめないこと」
です。
誰かのために頑張ることは、悪いことではありません。
仕事を大切にすることも、人との関係を大切にすることも、もちろん大切です。
けれど、そのために自分を追い詰め続けると、心はだんだん疲れていきます。
「もっと頑張らなければ」
「もっと必要とされなければ」
「もっと役に立たなければ」
そうやって自分に鞭を打ち続けることは、やがて自分自身への厳しさになっていきます。
(お説教三昧っていうかね…)
本当は、誰かを大切にすることと、自分を苦しめることは
同じではありません。
自分を大切にしながら、誰かと関わること。
自分の限界を知りながら、できることを差し出すこと。
相手の人生を背負いすぎず、でも必要な時にはそばにいること。
それが、私がこれからも大切にしていきたい関わり方です。
必要とされ続けるためではなく、必要としている人に届く場所を整える
カウンセリングの仕事をしていると、もちろん
「必要としてくださる方に届いてほしい」
という思いがあります。
けれど、私が目指したいのは、誰かにずっと必要とされ続けることではありません。
(ここものすごく大事なことだと自分で思っています。)
むしろ、カウンセリングの中で少しずつ自分の心を取り戻し、
自分の感覚を信じられるようになり、
その人が自分の足で歩いていけるようになること。
それは、とても大切なことだと思っています。
カウンセリングは、依存してもらうための場所ではありません。
誰かの人生をこちらが握る場所でもありません。
「あなたはこうしなさい」と指示する場所でもありません。
傷ついた心を丁寧に見つめながら、
「なぜこんなに苦しかったのか」
「なぜ同じところでつまずいてしまうのか」
「本当は何を大切にしたかったのか」
を、一緒に見ていく場所です。
そして、必要な時に見つけてもらえるように、
私はこの場所を整えておきたいと思っています。
無理に誰かを引き止めるためではなく。
不安から自分を追い込むためでもなく。
必要としている人が、必要なタイミングでたどり着けるように。
そのために、ホームページを整えたり、ブログを書いたり、
言葉を届けたりしているのだと思います。
誰かを救う前に、自分を苦しめない
人を支える仕事をしていると、つい「もっとできることがあるのではないか?」と考えます。
けれど、どれだけ大切な仕事でも、自分自身をすり減らし続けてしまえば、
長く続けることはできません。
これは支援する側だけの話ではなく、家庭の中でも同じです。
親だから我慢しなければならない。
妻だから、夫だから、子どもだから、頑張らなければならない。
迷惑をかけてはいけない。
弱音を吐いてはいけない。
ちゃんとしていなければならない。
そう思い続けているうちに、
自分の心が悲鳴を上げていることに気づけなくなることがあります。
でも本当は、誰かを大切にするためにも、自分の心を大切にすることは欠かせません。
自分を苦しめないことは、わがままではありません。
自分を守ることは、冷たいことではありません。
限界を認めることは、弱さではありません
むしろ、自分を大切にできるようになることで、人との関わり方も少しずつ変わっていきます。
相手を背負いすぎない。
相手に合わせすぎない。
相手の反応で自分の価値を決めない。
そして、自分の心の声も大切にする。
それは、静かだけれど、とても大きな変化です。
心の平和は、ひとりの中から始まる
大きなことを言えば、私は「世界が少しでも平和であってほしい」と思っています。
(世界平和は自分の平和とも繋がってくるからね。)
その平和は、遠くのどこかだけにあるものではなく、
一人ひとりの心の中にもあるものだから。
自分を責め続ける心が、少しゆるむこと。
誰かの期待に応え続ける生き方から、少し離れられること。
自分の気持ちをなかったことにせず、丁寧に扱えるようになること。
自分の幸せを、自分で選んでいいと思えること。
それは、その人の内側に少しずつ平和が戻ってくることでもあります。
そして、その小さな平和は、親子関係、夫婦関係、人間関係の中にも、
少しずつ広がっていく。
だから私は、必要とされ続けるためではなく、
必要としている人に届く場所を、これからも整えていきたいと思います。
そして同時に、私自身も私を苦しめないように。
誰かの心に寄り添うことと、自分の心を置き去りにしないこと。
その両方を大切にしながら、これからもこの場所を続けていきたいと思います。
奈良県生駒市の心理カウンセリングルーム「温もりを求めて」では、
親子関係、夫婦関係、人間関係、
アダルトチルドレン、機能不全家族、トラウマ、生きづらさなどのお悩みをお聴きしています。
「こんなことを相談してもいいのかな」と思うことでも、どうぞそのままお話しください。
あなたがあなた自身を苦しめ続けなくてもいいように。
一緒に、心の中を丁寧に見ていきましょう。
執筆:奈良県生駒市の心理カウンセラー 藤田侑杏恵
stand.fm配信 #471
必要とされ続けようとして、自分を苦しめてしまう時。
そこには、誰かを大切にしたい思いや、役に立ちたい思いがあるのかもしれません。
けれど、夫婦関係、親子関係、人間関係の中で、
相手の期待や評価に合わせ続けているうちに、
自分の気持ちがわからなくなってしまうことがあります。
奈良県生駒市のカウンセリングルーム「温もりを求めて」では、
親子関係・夫婦関係・人間関係・機能不全家族・アダルトチルドレン・トラウマ・生きづらさなどのご相談をお受けしています。
必要とされることで自分の価値を決めてしまう苦しさや、
人間関係の中で自分を置き去りにしてしまうことに心当たりがある方は、
こちらのページもご覧ください。
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今回のブログでは、
「必要とされることで自分の価値を決めなくてもいい」
というテーマでお話ししています。
誰かの期待や評価に合わせようとすると、
知らないうちに自分を苦しめてしまうことがあります。
カウンセリングに来られる方の目的はそれぞれですが、
私は、クライエントさんが自分の心を置き去りにせず、
自分の感覚を少しずつ取り戻していくことを大切にしています。
参考になれば幸いです。
※音声配信は脱線しながらブログを読み上げて語っておりますが
ブログ記事は後日加筆修正されることがあります。




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