社会制度を使ってケア受けることはその人の権利です。
家族の承認はその子の未来に大きく影響します。
私の発達障害について今までの流れは以下にまとめてリンクを貼っておきますので
興味がある方、気になる方、参考になれば幸いです。
発達障害ADHDと診断されました。それについてお願いとご報告。
発達障害ADHD診断されて、家族とその後…
発達障害ADHD/ASDと分かってからの自分
私が発達障害ADHD/ASDと診断受けるまでの困り感。
私が発達障害ADHD/ASDと診断受けるまでの困り感 その2
診断を受けて1年が過ぎて発達さんのオンラインカフェも定期的に月一で始めたりして
あとは発達障害当事者でもある臨床心理士さんから月一でスーパーバイスを受けながら
私なりにですが学びを深めてきました。
発達に限らずではありますが子育てで子供が何か困り感があって
どうしても皆のように出来ない事があったとき。
その「出来ない。」ということへの親からの承認は育みの中でとっても大事だなと思うんです。
その承認の育みがその子の未来に大きな影響を与えるんだと。
発達障害に限らず言えることだと思います。
私自身もあの時代の背景もあるから仕方がなかったかもしれませんが
随分と自分に対して痛い思いをさせ続け、かわいそうなことをしてきたと気がつきました。
結婚前の家族は私に対して理解がなかったと感じていましたが
結婚後の家族はイケメン息子もべっぴん娘も夫も
私が「診断を受けに行ってみようと思う。」って相談したとき
とっても前向きで「早く行っておいで!」という後押しのメッセージがあったから
ものすごく助かった。
結婚前の家族からは考えられないことです。
だから承認は大きくその人の未来に影響を与えるんです。
最初に気がつくのは本人か親だと思うんです。
本人が薄々気がついていたとしても親が他の子供と比較して
「どうして出来ないの?」とか
「できるまで頑張ろうね。」とか
否定は勿論ですが応援であってもその子にとっては「出来ないのにやらされるわけで」…
それより
「それが出来なくても困ることはないんだよ。」
「誰でも得意な事、不得意なことってあるんだよ。」
「自分が得意なこと、やってて楽しいことって何か一緒に見つけて行こうね。」
っていうメッセージを親から受け取れたらどんなに楽かなって思うんです。
見ていたらある程度わかるかなと思うんですけど
本人なりに苦悩しています。
なんで出来ないんだろう。
みんなはできるのに…
もしくは本人は例えば皆と同じように文字が書けているつもりでも
周りが気がつくと思うんです。
板書がうまくできないんだなということ。
そしたら出来ないことを良しとしてあげて欲しいし
可能なら診断を受けるというのもありだと思います。
ケアが受けられないことは親も子も苦しい。どっちにとっても良い事はない。
8月13日日曜日snsでこんなこと呟きました。
『親が子供の障害について否定的だと
子供もそれを認めずに普通?に見られようと頑張るから
生き苦しさは増すばかり。
ここについて思うことがあれこれ、、、
とほほぉ〜〜〜💦
この子供が中年だったら?
そして受けられるケアを受けられずに生活は困窮していく。
誰にとってもええことないんやで。』8月13日Twitterより
子供という立ち位置の年齢が50代60代の方もおられます。
ちょっと自分の子供は違うかもしれないとか社会に馴染みにくいかもしれないとか
薄々気がついていたとしても
「そんな大人は世の中結構いるし、うちの子だけじゃないわ。」
と認めないケースも多々あります。
それによって社会に出て働く事が困難で継続が難しく
それは雇用先の問題だということにして
収入が少なくて生活困窮者になっているケースもあります。
もし診断を受ける事ができていたら社会制度を使って何とか生き抜けるケースも有ります。
親も年々年老いて50、60過ぎた子供の世話どころか自分が世話を受ける側になったとき
社会制度をうまく使えずに収入は年金だけになったとき
働いていない子供の年金の支払いはまだ有ります。
健康保険も、家賃も、携帯代や、、、、諸々の出費がある中
生活費が親の年金だけでどうやって生きていけるでしょう…
これは、お互いにとって良い事は何も有りません。
自分を知り自分の特性を活かす仕事につければ別ですが
そうでない場合はさまざまな制度を使ってケアを受けることは
その人が生きていくための大切な命綱であり
そして、それはその人の大切な権利です。
まず親も子もそのままの自分を認め受け入れあって
生きていけるようケアを受けられるように…
私はそれはとっても大事なことだと思います。
そもそも社会的な基本や常識って人それぞれですからね。
(先日臨床心理士さんから教えてもらった事があるのでここで自分のことに絡めて書きますね。)
世間一般で言われている常識は全ての人ができるわけではありません。
映画館では静かに座って。
とか
電車の中では叫ばないとか?
でもね、これ全ての人には当てがえないことです。
私が映画館が苦手なのはじっと座っていられないからです。
映画の内容が(物語が悪いのではなくて、です。)
自分には入り込めず、その物語に引き込まれなかったら
ADHDの私には2時間近く座り続けていることはしんどいですからね。
だから障害者手帳っていうのがあるんです。
(でも自分がやりたいことについては何時間でもカウンセリングで座っていられるし
パソコンの前にも座っていられる。ただ、過集中して時々ぶっ倒れますが。。。)
最後まで観る事ができない可能性がありますし、実際私も途中で数回映画館を出ちゃいます。
そしたら物語を通して見れないということです。
でもその障害がある人だって映画を観る権利はあります。
なのに迷惑をかけるからと私みたいに行くのを諦める人もいると思います。
電車もそうです。
自分の意思とは関係なく大きな声が出てしまう人もいます。
だけどその人だって外に出て買い物したり旅行行く権利はあります。
障害年金は、あの年金をいただけることで生活が成り立つ人がいるんです。
障害者にはお給料が安いから。
こういう公的制度を困難な人は使う権利があります。
診断を受けて少しでも日常が生きやすくなるのであれば
遠慮するのは違うと私は思います。
色々これを読んで思う事が出てくる人もいると思います。
それはそれで良いんですよ。
ただ、その沸き起こってくる感情や考えは全ての人が同じように感じているわけではないです。
それは自分だけのものであり自分だけの正しさです。
その一方で
障害者手帳を持ち障害年金をもらっていることで
肩身の狭い思いをされている方がおられます。
診断を受けなくても生き苦しい。
診断を受けてケアを受け障害年金や障害者手帳をもらっても辛い。
正直…
それはないやろ。
って私は思ったので…
自分に優しく
そして
人にも優しい社会になると良いですね。
※実際のところ現実では障害年金はそう簡単に出してもらえない。
障害年金が本当に必要な人に届けられない。
この社会システムは弱者には優しいとは言えない。
何とかならんものか、、、
カウンセリングを受けようと行動を起こすには それ相当の勇気が必要だと思います。 その勇気、私は歓迎いたします。(^^) Facebookではプライベートも呟いております。 藤田侑杏恵Facebook |
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