本当の自分の気持ちを知ることの大切さ。
昨日は父の背景と私の背景を書いたのですが
父の背景でサラッと流してしまっていたところがあります。
父からすれば「仕事して帰ってきてるのにご飯ができていない。」
ということにも腹が立つ。
この文言のところと
「本当の自分の気持ちを知ることの大切さ。」
について今回は書きたいと思います。
父はご飯ができていないことに腹が立っていたのではないです。
きっと気づいておられる方もいてると思います。
この時、父は
『仕事をして帰ってきたのに夕飯ができていない。』
ということに腹が立っていたのではないです。
元々多くを語らない、おしゃべりな人ではなかった記憶があります。
長男で下の兄弟たちを高校に通わせるために市場で働いて卒業させたとか
大人になってからも困った時だけ頼られたり
そういう自分を後回しにするところもあったと思いますし
自分は高校に合格したのにお金がなくて行けなかったからこそ
自分の子供の進学には「お金が無い。」とは一切言わなかったし
行きたいと言うなら一人暮らしの下宿代や生活費も学費も銀行で借りていたと思います。
あとで聞いた話ですが
あの当時の収入はいくらで学費と生活費どうやって?という生活だったと。
『弱さを一切出さない。』
だから
自分の気持ちをしっかり聞いてあげるなんて時間は
皆無だったと思います。
それは母も同じですね。
そうなるとお互いが自分の本当の気持ちを見ることもなく
『世間一般では』
とか
『普通は』
とか
『常識では』
とか
そういうものを持ち出して押し当て合う。
父は、あの時本当は
そりゃ確かに仕事して帰って来たのに夕飯ができていないのは
腹も立ったと思いますが
それだけではなく
なかなか帰ってこない母を案じていたと思います。
『どこで何しとるんやろう。』『事故にでも遭ったんではないか?』
あの当時、今みたいに携帯なんてないですからね。
待っても待っても帰ってこないので心配が膨らむ。
だからこそ帰宅した時、本当の気持ちを『弱さを一切出せない。』からこそ
怒りで感情を向けるしかなかったんですよね。
もし、本当の気持ちを言えていたら
また違っていただろうけれど。
父も自分の弱さを引き受けることは、それは怖いことですし
認めることはなかなかできなかったと思います。
あの時代ですからね。
誰が味方なのかも分からない
誰を信じて良いかも分からない
誰に頼って良いかもわからない
皆が敵に見えていた
だからこそ強くあらねばならず
弱さなんて出せなかったんだと思います。
完璧であろうとする親の子供は苦しい。(ちょっと余談ですが)
私は私でどうやってサインを送ればいいか。
そもそも私の親は私の話が聞けないわけですから
聞けないのなら問題行動を起こして訴えるしか無いわけです。
気付けよ!!!
(子供はどうにかして親に気がついてもらおうとサインを諦めずに送り続けているものです。)
みたいな感じですよね。
でも、親も親で生い立ちがあの時代ですから
じっくり子供の話を『安心できる場作り』をして聞くことができる親って
少なかったんじゃ無いかと思います。
(どの子供の話も聞ける親もいたと思いますけどね。)
となると、上手に話せる者勝ちです 笑
最後まで、じっくり聞いてもらう経験が圧倒的に少なくて
失敗したら、感情を露わにして怒る母親から受ける影響もあって
要領よく仕事をこなせる術がない私は
いつの間にか、お話しする時、早口になっていきました。
私の早口は、多分永遠に直らんでっっw
今、目の前にいる人がカウンセラーで
途中で嫌な顔して話を聞くことはない。
…とわかっていても
『早く話し終えないと💦
途中で飽きられてしまう💦』
って思て早く話すようになった私の癖は
そう簡単じゃないです。
親には時間に余裕がなく
常に忙しいので余計な仕事が増えることは
ストレスです。
だから子供に完璧を望む。
親も完璧に予定をこなそうとする。
『私は大人になったらサラリーマンと絶対結婚するんだ!』と
いつの間にか思うようになりました。
そしたら子育てもゆったりできると思って。
でもね、完璧を求められて
完璧にできなかった私が子供ができた時
子供が失敗したら、どうやって許せば良いのか
その許し方がわからず
負の連鎖が始まったんですね。
それぞれに背景があります。
そして仮に似たような背景だったとしても
そこから何を取るか、皆違う。
(そして何を取ったとしても、それは自分を守るために決断したこと。
褒めてやって欲しい。)
つまり
私と同じように早口の人がいたとしても
私と同じ、又は似たような背景かどうかは謎です。
私は子育ての途中で自分がカウンセリングを受けることになり
サクッと簡単に閉めますけど
今に至りますっっw
だけど、私と似たような背景をお持ちでも
カウンセリングを受ける人もいれば
受ける時期も違うし
受けなくてもご縁で誰かによって支えられる人もいるでしょう。
もし、自分が困ったとき
もう混乱してどうして良いかわからなくなった時
カウンセリングを…と思われたなら
それがその人のカウンセリングを受けるタイミングなんだと思います。
そして私はその勇気をいつも歓迎しています。
カウンセリングを受けようと行動を起こすには それ相当の勇気が必要だと思います。 その勇気、私は歓迎いたします。(^^) Facebookではプライベートも呟いております。 藤田侑杏恵Facebook |
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