末端の者は使い捨て NHK「ガラパゴス」
「あなたは肝心な事がわかっていない。
あなたが殺害に手を貸した中野定文さんは
自らの仕事に誇りを持って働いていた。
それはあなたのお父さんも同じだったのでは?」
NHKで織田裕二さん主演のドラマ『ガラパゴス』見ました。
ある派遣社員が人命に関わる不正を暴こうとしていた。
正社員にしてやる代わりにと、同僚を監視しろと命じ
同じ派遣社員同士で監視しあう。
そんな中にいても自分の仕事に誇りを持ち
不正をどうにかして伝えようとしていた中
仲間によって上の者にチクられ
仕舞いには殺されてしまうという事件です。
仲間であるはずの派遣同士に分断を起こさせ上の者は高みの見物です。
そこには刑事も絡んでいて、政治も絡んできます。
それでも第一線から外されたカンの鋭い刑事が奥の奥まで踏み込んで暴いていきます。
見終えて直ぐにfacebookで投稿しました。↓
末端の者は使い捨て
支配者は人参をぶら下げて末端の者を良いように使う。
表に出ては困る事件は大きな組織によって(このドラマでは政治とか?)揉み消される。
このドラマの最後に犯人に対して廊下で刑事がすれ違った時に
「なぜ中野さんを殺したのですか?同じ派遣…」
「あんた何にも分かってないな!殺されるのは俺だったかもしれないんだぞ!」
私は人をコマのように顎で使う人を好きではありません。
その人達は教育を受けていない。
対等にできない。対等の意味を知らない。対等の仕方がわからない。可哀想な人です。
(今はこういう人の背景は横に置いて。)
トップが責任を取り、社員を守れなくてどうするんだと思う。
そして、こういう言葉は綺麗事として消されるんです。
現実はそうじゃないし
そう言うてられない。
生きていかないといけないから。
だからこそ
それを逆手にとってええように使うなんて卑劣極まりない。
それでも、派遣は、その方が働きやすいという人もいて
その人達とはニーズが一致してるんだから残るでしょう。
問題なのはこのドラマのような事が
(自分の仕事に誇りを持っているからこそ
人命を守るために隠蔽をし続ける組織を表に出そうとして殺されるなんてこと。)
そこまでは無いと思いたいけど
一番、最も、良く働いている末端の人達からお金を搾取し
奴隷のように扱われることはあってはならないと私は思う。
正しいことをしても報われないのは何故でしょう。
このドラマを見て過去の事件を思い出しました。
内部告発
そこに関与してしまっていたある人は、「これはあかん!」と暴露した。
告発したその先の末路は誰も興味ないかしら。
関与してたとしても海外なら本当のことを言ったら
その分、刑は軽くなる。
私はこの事件についてネットで追っていました。
追いながら、その時、自分の心に刻んだこと。
「この国では一度過ちを犯したり失敗してしまったら
正しいことをしても、認めてはもらえない国なんだな。」ということです。
(勇気ある弱者に優しくはないわな。)
そして
『もしこの先の自分の人生で不正を見たとしても黙っておこう。
自分の身を守るためにも。』
です。
どうせ、過ちを犯し、反省から本当のことを伝えても、
自分は葬られるんだと思ったら、それがずるくても、黙ることを選択する。
今の年齢の私の目の前に
あの当時の私がいたとしても、私は決して攻めない。
それが私以外の他の人であってもです。
ですがその数年後、私はある組織にいて
どうしても納得いかない事があり
黙ってはいられずに、上に言うんですけど。🤣
それは、また別のお話ですので、ここでは、ここまでにします。
環境って大事。
誰だって気がつかないうちに巻き込まれる形で
やってはいけないことに加担してることあると思います。
後で気がついて顔が青ざめる。
そこで黙っていないで訴えた勇気はどうなるんだろうか。
どんなに勇気が要ったことだろうか。
そう思いました。
それって幼い頃「それとこれとは別!」って叱られたのと同じような気がして
なんとも言えない気持ちになるのです。
だから時代背景の影響は大きい
責められる。
攻められる。
責任追及。
連帯責任。
失敗は許されない。
こういう言葉が浮かんできます。
権威と権力者は自分が間違っていても決して認めない。
でも、もう時代が大きく変化していることを忘れてはいけない。
モラハラもパワハラもセクハラも暴力も
それらは事件です。
そして今度はそれを逆手に取って弱者たちが立ち上がり
でっち上げることもあってはならない。
一方向だけで証拠として出されても、そうたらしめた背景は見なくていいのかとも思うから。
人はとても弱い。
強く見せている人ほど弱い。
弱いからこのドラマのように末端の者達が団結することが怖くて
そして、その正しさを突き付けられるのが怖くて
いつもビクビクしている。
人は弱いからつい甘い汁を見せられると
ちょっとくらいええか!
そう思ってしまうこともある。
私も過去に、ちょっとくらいええか!ってやらかしたことあるからね。
でも、その後の心に残るモヤっと感は気持ちが悪いものです。
やっぱり自分に恥じない生き方の方が楽かな。って思う。
やらかしてしまった過去は消せなくても。
そして、その方がずっとか実は生きやすかったりする。
私はそう思います。
どうか、正直に生きた勇気あるその人の後の人生に
「この人と繋がると自分の不正を暴かれるから縁を切ろう。」
なんて考えが浮かび、縁を切るのではなくて
周り回って自分の口に入る食べ物が
そういう食べ物を口にすることになっているということに気が付き
意識ある人が増えて他人事として見ない世の中になってくれたら良いなと個人的に思います。
正直者がバカを見る。
ではなくて
それによって自分も大事な家族も皆が影響を受けるんだということ。
ちゃんと情報を選んでいきたいですね。
(少なくとも私の周りにいる人たちはそういう生き方をされています。
それが少しずつ増えていけば淘汰される日も来るかも。
できるところから少しずつですね。)
カウンセリングを受けようと行動を起こすには それ相当の勇気が必要だと思います。 その勇気、私は歓迎いたします。(^^) Facebookではプライベートも呟いております。 藤田侑杏恵Facebook |
|
コメント