期待に応える=自分に犠牲を払うということ。
昨日のブログでは悪役とヒーローは存続させないと困る人や組織がある…#345
悪役とヒーロー役について書いたのですが
「周りの期待に応え続けることは自分に嘘をつき続けること。」だと書きました。
今日は
期待に応え続けると苦しくなるのはなぜでしょう。
頑張ることは全てにおいて悪いことじゃないのに
「頑張らなくて良い。」
と言われるようになったのは何故でしょう。
そこについて書いていきたいと思う。
自分の内側と一致してる場合は問題ない。問題なのは…
昨日のブログの続きになりますが…
期待に応えているつもりがなくて
本人がやりたくてやっていた場合は自分に犠牲なんて払っていないので問題ないです。
問題なのは「自分の心と、やりたいこと」の不一致が起きているけれど
周りの期待する姿で自分はいつづけなければならない。
…と思い込んで頑張り続ける事です。
頑張り続けるうちに、もし周りの期待に応えられず
そして、周りからガッカリされ
「終わったな。」なんて言葉も聞こえてきて
「もっと頑張らなきゃ!もっと出来るようにならなきゃ!」
そう思ってさらに頑張り続ける。
それでも周りの期待した通りにはならない自分がいる。
やがてその人は「自分はダメだな…上手くいかない…もう無理だ。」
そう思って自分で自分にダメ出しをし続ける。
あるとき、努力している姿を見ていた人が
「君は本当によくやってる。」
そう言ってくれたとしても素直に受け取れない自分がいる。
だって周りの期待に応えられていない自分ではダメなわけですから。
周りが認めてくれて賞賛してくれて初めて自分を認められるわけです。
誰かの期待に応えることを強要されてきた人は
自分のなりたいもの
やりたいこと
好きなこと
楽しいこと
そういった諸々が自分で分からないでいるかも知れません。
子供の時期に自分の為に頑張ることを覚えられるといいね。
誰かに認めてもらうこと、称賛してもらうことは誰だって嬉しいと思う。
私も嬉しいです。
ただ、それは自分がやりたい事があって
でも行き詰まって上手くいかなくて、それでも好きでやり続けて成長できた時。
一番最初に褒めてくれた人って多分自分の親だと思うんです。
子供達はその時から
親の笑う顔
喜ぶ顔が見たくて
頑張ることを覚えてきたと思う。
だけどその時、親の為に親が子供に期待を被せるのではなく
親は子供がやりたいと言ったことに対して
子供自身が努力して出来た時
共に喜びを分かち合えたら
自分の為に頑張ることを覚えると思うんです。
誰かの期待に応える為じゃなくて良い。
自分の為に頑張ることを知って
それから周りと協力して行くことを覚えたら良い。
誰かと共に何かを成し遂げた後
お互いを称え合い喜びを分かち合えた時
その経験が社会に出た時、繋がって行くと思うからね…
今日は
期待に応え続けると苦しくなるのはなぜでしょう。
頑張ることは全てにおいて悪いことじゃないのに「頑張らなくて良い。」
と言われるようになったのは何故でしょう。
について書いてみました。
誰かのお役に立てれば幸いです。
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