#392 人間関係:人はロボットじゃないんだから。

皆が皆同じメンタルの強さを持っていないでしょ?

私の子供の同級生が高校の時、野球部で部活中、熱中症で倒れました。
多臓器不全で意識もなく集中治療室で何ヶ月も治療を受け
数ヶ月後、車椅子で高校に顔を見せることがやっとできたと聞きました。
一時は命の危険もありました。

奈良でも有名な進学校で、中学の頃からとっても頭が良かった。

学校側は他の部員は倒れたりしていないので、学校側には責任はないという見解だったようです。
その人はこの時点で将来の大きな可能性を絶たれました。
人生が大きく変わったということです。

これをまずお伝えしてからの今日のブログです。


私達は生身の人間です。
感受性も価値観も五感で感じる感じ方や強さも思考も得意不得意も全て違います。

だから

辛いものが好きな人もいれば苦手な人もいるし
甘いものが好きな人もいれば苦手な人もいる。

人と一緒に何かをすることや一緒に居ることが好きな人もいれば
一人の時間が好きな人もいる。

同じ運動を同じ量していたとしても
全然大丈夫で、むしろ上達していく人もいれば
逆に疲労骨折する人もいます。

一律に同じように成長したりするわけではありません。
だから、ストレスを感じる感じ方も一人一人違います。

生活スタイルだって違う。
睡眠時間も4時間でも平気な人もいれば8時間寝ないと保たない人もいる。


では人育てに携わっておられる全ての人にお聞きしたい。

・疲労骨折する人が悪いのでしょうか?
・ストレスを感じやすい人がダメなのでしょうか?
・それはその人の弱さだから、鍛えて強くならないといけないのでしょうか?
・鍛えたら鍛えただけ皆が皆、強くなれるのでしょうか?

怪我や病気したらリハビリは必須です。

例えばアスリートが大病し、長期間入院治療を受けて退院しました。
その翌日から入院する前と同じ運動量こなせます?

結構慎重にリハビリして少しずつ筋肉をつけ直していくと思います。

それなのに、なぜ一般の私達は(会社にお勤めの人は)
仕事復帰したら長期療養に入る前と同じパフォーマンスを求められるのでしょう?

(全ての会社がとは申しません。)

メンタルが壊れて心療内科で鬱を診断され薬を服用しながら
何とか復職するまで治療を受け
まだ無理なのに
・仕事が無くなったら困る。
・皆に迷惑が掛かる。

そんな心配ばかりしてストレスを余計に抱えた状態で復職しても
それは無茶ってもんです。

それに最近ではトライアル期間というのが設けられていた会社のうち一部
それを無くしたところもあるそうです。
(↑クライエントから許可いただいての掲載です。)

それはどうしてでしょう?

・解雇できないから自ら辞めてもらう為
・切り捨てるため
・篩にかけて、優秀な人材だけを残すため。

でしょうか?

さて、、、仮にそうであったとして…

それで本当に残った社員だけで
優秀な会社になれるのでしょうか?

私、思うんですけど
お互いをリスペクトし合うのはとても良いことだと思いますが
自分が上だ!!!と相手を蹴落とし、競い合うだけの関係性だと…

まず
・協力し合えない関係性になる
・常に殺伐とした空気が社内に漂い続ける
・お互いを蹴落とし合い嫌い合う
・その結果、助け合えない訳だから、いい商品は生み出せない

…のではないでしょうか?

理想論でしょうか?

そうかもしれません。

ただ、思うのは、社員同士が助け合えない会社は成長しないと私は思います。


誰だって病気するし怪我もする。
心だって同じ。

心を病むのは、その人だけの責任で
100%社内のせいじゃないって言い切れるのでしょうか?

その人が心を病んだのは
周りがその人から自信を奪い、考える力も奪い
できない人に仕立て上げていった。


…その可能性は0ではないと思います。

誰かと比較して
誰かと競わせて
成績を上げさせているつもりかもしれませんが
そのやり方は良い循環は起きないと私は思います。
(そもそも、このやり方はもう通用しない。)

誰かと比較させるのではなく
以前の自分ができなかったところがどれだけできるようになったのかを
互いが伝え合い認め合える関係にした方が断然うまくいく。
(相手のマイナスではなく相手のプラスを観察して見つけ合うこと。)

朝の朝礼で実際褒め合うことを勧めたら
お互いが知らなかった部分を知り合え
勝手に決めつけ思い込んでいたところの誤解が解けて
協調性が高まったという良い結果が出せているところもあります。

社員をどんなふうに育てるか
全てがとは言いませんが
上(トップ)次第だと私は思います。

何故上次第なのか

一番最初のところで書きました野球部の生徒さん。

例えば皆がどんなに暑くても走っている中
自分だけ「しんどいです。」

これ言えますか?

「しんどいのは、皆同じじゃ。」

そう言われたら、自分だけ甘えていると思う。

では逆に
「しんどかったら言えよ!」
そう言われていたとしても…

「しんどいです!」

これ教師相手に言えますか?
自分だけ、言えます?

私達親も子供に「言っても良いんだよ」と伝えていない人もいてるかもしれません。
そして恐らく自分だけ「しんどいです」って言って休憩する人が出てきたら
やっぱり内心、モヤっと色々思ってしまう。

直接傷つくことをその人に言う人も出てくるかもしれませんね。

「しんどいです」と当たり前に言える環境にできたらいいなと思います。
社会に出る前に。


競うのは誰かじゃなく自分。
誰かと競い合わせることが常になると
人間関係も親子関係も夫婦関係も
相手と競い合って歪んだ関係になってしまいますから。

(オリンピックのアスリートを見ていると
純粋の勝利を得たい人は、相手の怪我を攻撃したりしない。
そういう勝ち方を勝利とは思っていないからだと私は思います。)


身体の健康を損ねると
生きていく力が奪われていく。(一時的にもしくは、長期的に。)

そしてその重大さに周りも本人も気がついていないことこそが
大きな課題であり問題だと私は思います。

そこに誰も責任なんかとってくれないのですから。

いじめられて訴えても適当に扱われ
職場でパワハラ、セクハラを受け悩み苦しんで
上司に訴えても聞き入れてもらえず
最終手段で外へ声を上げても
守るべき人を守ろうとせず
教育すべき人を教育しようともしない
そんな目に見えない何か訳の分からない大きな力を見せつけられたら
生きる意欲を失い
その結果
病もうが
自ら命を絶とうが

それでも、どんな証拠を突きつけたところで
責任から逃れる口実を作り出し背中を向けるんですから。

競争は悪なのか?

いいえ、そんなことはないです。
ただ、競争や競い合うことは決して悪ばかりではないけれど
教育として一番最初に伝えるときに、どう伝えるか。
とっても大事だと私は思っている。

ライバルの存在は人を成長させることもあるでしょう。
その存在の在り方は?

負けたら悔しい。とか、あの仕事を取られて悔しい。
だけど、その悔しさよりも、

負けて、取られて、
ホッとしている自分に気がつくことがある。

「それは良くないことではないですか?」

そんなことはないのです。
それくらい今ご自身の身体は悲鳴をあげていたということ。
肩の荷が降りてホッとしている自分に気がつけたのなら
十分自分を労って休ませてあげたらいい。
そして
また元気(やる気)が戻ってきたら頑張ったら良い。

もし、その職場が自分のペースと合わなかったり
セクハラやパワハラを受けていて
一人も味方が居なくて辛い思いをされているのなら
その場に無理に居続けなくてもいい。
去ることは負けではなく
去ることは自分を守ることですから。


その場合、元気が戻ってこないことで身体が教えてくれていると思います。


もう一度言います。

身体の健康を損ねると
生きていく力が奪われていく。(一時的にもしくは、長期的に。)

そしてその重大さに周りも本人も気がついていないことこそが
大きな課題であり問題だと私は思います。

そこに誰も責任なんかとってくれないのですから。



「しんどいです」「辛いです」

言ってもええんやで。


本日の音声配信 stand,fm

今日はクライエントさんの許可をいただいて
カウンセリング後、私が感じたことをお話ししてみました。

競い合う。
競争。
この言葉を私達はどういう中身を受け取って教育されてきたのだろうかと思うのです。

ライバルがいることで成長できることがあります。
ライバルとは相手を蹴落として自分が乗し上がる関係ではないです。

お互いが尊敬しあってライバルがいることで成長し合える関係がライバルです。

そういう関係性と
相手から力を奪い蹴落としあう関係性では
どちらが成長し合えるでしょうか?

これはチームや会社でも言えることではないのか?

そんな思いを抱き抱えての収録配信です。


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その勇気、私は歓迎いたします。(^^)

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