#390 夫婦・親子関係:依存・共依存

依存

誰だって何かに依存しながら生きてるんだと私は思います。
家族がいるから頑張れる。
一緒に食べる人がいるからご飯を作れる。
一人だったら簡単なもので良いやって思うもの。
これを自分を大事にしていないって言うカウンセラーもいるかもですが
…っていうか過去に私も言っていたかもですが…

ごめんなさい。
今はそうは思いません。

自分が食べたいものがあるのに毎回我慢させるのは自分が拗ねちゃいますからね
何回かに一回は食べさせてあげましょうよ!
って今はお伝えしています。
(毎回フィレステーキとか私なら難しいから!🤣)

ちょっと話が逸れましたね💦
だから、パートナーや子供達がいるから頑張れる。

良いじゃないですか!

って思うよ。

だってそれでお互いがうまくいってるんなら問題ないじゃないですか。

でも頑張ってご飯を毎日作っているのに
「美味しい」って言ってくれないから
毎日のメニューを考えるのが辛い。とか不安。とか苦痛とか。

その気持ちも分からなくもないけど、それだといつか揉めるかもね。

共依存

自分の価値をパートナーや子供を通して感じたくてやってしまうケースもいずれ問題が起きる。
依存も共依存もどちらにも言えることだと思うのですが
ここには「自律」が大きく関係してくると思うんです。

ここでは簡単な例で、しかも私の妄想の世界で書くので
多くある中の一つだと思って読んでくださいね。

自分の価値をパートナーや子供を通して感じたくてやってしまう場合は
お互いの自律を妨げる行為です。

仮に両者が自律できていなくても
喧嘩しながらも同じ繰り返しをしながら愛し合っている夫婦もいてると思うのですが
片方が苦しくなってこの繰り返すパターンに終止符を打ちたいと思った時は
その関係性の継続は非常に難しいと思います。

相手の期待に応えようと頑張り続ける人

相手にどんどんリクエストを出し続ける人

そして繰り返し問題が勃発するたびにその後仲直りしてラブラブ。

その繰り返すパターンに
もう終えたいと思っている方は「もう嫌だ。いい加減にしてくれ!」と決断していますからね。

親子の場合

例えば
子供が親離れしようとし始めた時
子供が離れていかないようにする為に足を引っ張るケース。
親は幼い頃のままの子供を見ていて心配で不安でたまらんのです。

家を出て就職しようとした時
「こんなお給料でどうやって食べていくつもり?」
「あなたには無理じゃない?」
「この会社は〇〇らしいからやめておきなさい。」
「あなたは世間をよく知らないから…」
「親の言うこと聞いていれば間違い無いのよ」etc…

結果、親が納得する就職先が見つからず
(っていうかどこを見つけてきても家を出て行かなければいけない環境であれば
何か理由を付けるのですけれど…)
仕方ないので家から出るのを諦めてアルバイトしながら就職浪人。

でも新卒者優先でなかなか見つからず永遠とアルバイト。
健康保険や年金の支払いは難しいので親が払ってくれることに甘んじる。

家にいたら家賃や光熱費も支払わずに済むし徐々に
「このままでも良いかも。」半ば諦めモードで
このままでも得るものもあるしな…
と思えてくる。

やがて親は子供が就職できないのは企業が見る目がないからだ。
なんて思ったりして子供が不憫になり「この子は自分が守ってあげなきゃ!」
なんて思ったりしてね。

子供が手元から離れて一人でやっていけるわけがない。
心配だ、不安だ。そばに置いておけば安心だ。

と思う一方で子供が反抗的な態度を見せた時には
「誰が食わしてやってると思ってるんだ!」
「年金も健康保険も払ってやてるんだぞ!」
なんて言ったりして。

↑これ、例えばの話ですからね。

でも、これね、まだ子供がどこかで気がついて
「このままではいかん!一人でもやっていけるようにしなければ!」
って思って親の反対を押し切って
自分の人生に責任を持てるようになれば良いんですけど…

子供と言いながらも年齢が50代以上となってくると
もうエネルギーも若い時みたいには動けなかったりして💦

そうなってくると、このどこにお互いのメリットあります?

その時はええんです。

でもこれ、親はいつか年金生活になる。
年金が入るうちはまだいい。
けれど、親が死んだら?

この子(この大人)どうやって生きていけますやろうか。

こんな無責任なことないんです。

この親のしていることは重罪やと過去にブログで書いてます。

でもね、フォローするわけじゃないですけど
この親にも過去に色々あるんです。
だから親御さんがカウンセリングを受けてみられると良いなって思います。

夫婦の場合

例えばDVとかアルコール依存症とかの機能不全家族はご存知の方もいてると思います。

殴られても、その後優しくしてくれるとか
お酒飲んでる時は荒れるけど、飲んでない時はええ人。
だからほんまはええ人で優しいねん。
私がいないとこの人はダメになるんよ。

そうやって相手にとって自分は必要な人間で
相手から必要とされていると思うことで安心する。
そうすると自分の中にある不安は薄くなるもんね。

薄くなってもそれは一時的なことで
相手から自分は必要だとされなければまた不安はいくらでも襲ってきます。
そうすると、自分の不安を薄めるためにまた相手にとって自分は必要な人間だと…
そう思わせるために相手に不安を与えたり

「こんなにアルコールを断つのに苦しんでいるんだから
ちょっとだけなら良いじゃない。」

って思って相手がアルコール依存から抜け出すことを妨げようとします。

「やっぱり私がいないとこの人はダメだわ。」

そう思いたくて。

相手を思う気持ちがあるのに真逆の行為をしてしまう。

けれども、片方がこのことに気がつき断ち切ろうと思った時
もう片方からすれば「突然の別れの宣告」を言われることになります。

両者が気が付かないうちはその繰り返しをし続けるからね。
でも、これ結構辛いし、しんどいですよ。

だから、どちらかがそこに気がつく時が来るんですね。
今までずっと共に居たからこそ別れる時は身を切るように痛みを伴いますが
それでも、お互いの為、相手の為、自分の為に離れるのです。

依存する側も共依存している側も心に深い問題を抱えているものです。
それは決して珍しいことではないと私は思っています。

依存・共依存は全てダメなのか?

それは違います。
だって誰にも何処にも依存なしに私達は生きてこられた人っていないと思いますよ?
依存していても段階を経て自律していく。
そこに親子の場合、親も子も共に学び経験し子供が自律できることを
お互い歓迎できると素敵だなって思います。

私なりの思いを書いてみますね。

親子の自律

子育てで言うと多くの赤ちゃんは特別な場合を除いて
100%母親に依存しないと生きていけないです。
でも、母乳や哺乳瓶からの粉ミルクを少しずつ離して離乳食始まりますよね。

天井を眺めることしかできなかったけれど
寝返りを打って、両手広げて飛行機し初めて、お尻を上げ始める。
ハイハイが始まって、つかまり立ちを始めた頃には自分でお座りもできるようになっていますね。
そうやって自分で立つようになる。
親はその邪魔をしていないはずです。
がんばれ!って応援する。

それと同じことを大人になっていく過程で応援してあげられたら良いですね。

夫婦の場合、お互いの生い立ちが深く関わってくる

生い立ちの中で、ほとんど自立の育みを受けないまま
大人になり社会人になり結婚したとします。

そうすると境界線が曖昧になってお互い線引きができないままなので
色んなところで問題が勃発する。

相手の携帯電話やポストに届いたお手紙や
相手の大事にしているものを勝手に使用してしまったり…
帰宅時間や誰と何処にいるかとか確認したい時に確認できないと猛烈に不安になったり。

誰だって大事な人が連絡つかなくなれば不安になるってものです。

でもそれが異常に反応して事を大事件にしてしまったり。

けれど、そうやって自分のことを心配してくれているんだと感じながらも
「ちょっと過剰反応するところがあるな」と思いつつ
心配してくれることに愛されていると思えてあまり気にならないで過ごせているなら
問題ないかもしれません。

でもその他にも共に生活していくうちに色々出て来てしんどくなって来たなら
気付きの時かもしれませんね。


ちょっと極端な例を出しますが

DV受けていても

「私が(僕が)居ないとこの人はダメになる。」



改めて尋ねますが
それホント?

あなたは夫を通して、妻を通してじゃないと
存在できないわけじゃないです。
夫、妻が居ようが居まいが関係なく、あなたは唯一無二の存在です。


相手に従わなければ
相手の期待に応えられる自分でなければ
自分は愛される価値がないのではありません。

そのことを覚えておいてほしいなと思います。

でも、どうしても、そうは思えない。
そんなの、よく分からない。

という時はケアを受けてみることも一つの方法だと思います。


本日の音声配信 stand,fm

生まれた時は誰だって自律できていないもの。
肉体的、精神的にも自律できていることは大事なこと。
そして、その自律は、やはり一人でできるのではなく
誰かと関わることで学び経験し育まれるもの。

やはり人を育てるのは人なんだと今回この「依存と共依存について書いてみませんか?」
と、ある人から言われて、再々再認識いたしました。
(逆も然りです。
だからお互いが了解できない関係性なら、それは身を切る思いで断ち切る必要がある。)

依存と共依存については色んな記事があると思います。

この記事は依存と共依存の事典とか関係なく
私のこれまでのカウンセリングの経験と
私自身の生い立ちからケアを受け続けてきて
気が付いたことなどから思いつくまま書いたものです。
だから、まとまっているようで、まとまっていないですが…

誰かの参考になれば幸いです。

※先日発達障害四方山話オンラインカフェを開催したのですが
障害のある方の自立について話が上がりました。
そこについての内容についてはまた後日書きたいと思います。


カウンセリングのお問い合わせはこちら
カウンセリングを受けようと行動を起こすには それ相当の勇気が必要だと思います。
その勇気、私は歓迎いたします。(^^)

お気軽にお問い合わせくださいね。
夫婦関係のお悩み
ブログをメールで購読

メールアドレスを記入して購読すれば、更新をメールで受信できます。

親子・夫婦・人間関係特化のカウンセリングルーム | 温もりを求めて | 奈良
タイトルとURLをコピーしました