#400 夫婦関係:子育ては母親中心でも責任は母親だけではない

「自分の傷を見れない夫」「傷があっても子育てし続けなければいけない妻」

分かっていることとは思いますが子供は一人では作れません。
だけど子育ては一人でもやれなくはない。

一人で育ててお金だけくれたらいいや。

っていう関係性もアリかもしれません。

その方が子供が伸び伸び育つのならアリですよね。

今日は先日ふと子育てしていて初めての離乳食で
最初の果汁をスプーンひと匙をあげた時のことを思い出しました。

あの当時傷だらけだった私は毎日が必死だったし、自分の中に決め事が沢山あって
それに縛られてがんじがらめだった。
もっと肩の力を抜いて子育てをしたかった。
その為に必要なことが私にはあったのですが…

共に暮らすパートナーとは可能なら同じ景色を見る努力はした方がいい。
可能な限りで良いのです。
その景色を二人が見れていないということは
共に暮らしながら気がつけばお互いが思いもしない方向に進み
問題が発生していても気がつけないまま何年も時が進んでいくということです。

その問題は時間と共に大きく膨れ上がってしまう。

その前に対処できたらいいですね。

いいえ、大きく膨れ上がった後であっても
そこから始めたらいいんです。

共に暮らしていくというのなら。


初めての子育ては何をするにしてもお母さんも赤ちゃんも
初めてのことばかり。

初めての母乳
初めてのおむつ替え
初めての沐浴
初めての離乳食の果汁を与える最初のスプーンひと匙

うまくおっぱいに吸い付いてくれるかな?

オムツを替える時、あまりにも小さすぎて
そっと触っていても壊れてしまうのではないかと…恐々オムツ替えをした。

温度は大丈夫かな?熱すぎないかな?ぬるすぎて風邪ひかせたりしたら大変💦

離乳食、こんな薄い果汁で美味しく飲んでくれるかな?
そもそもおっぱいか哺乳瓶でしか飲んだことがないのに、スプーンで飲めるかしら?

何をするにも、今では何でもないことが初めての時は心配したり不安になって緊張したりして。

当たり前に出来ていることって
一番最初は、そのみんなが当たり前にできることだからこそ
もし、できなかったら…
どうしよう…となる。

当たり前のことが、うちの子にはできないとなったら、それは一大事ですからね。

できるようになってからは、何でもないように思えることですが

一番最初って与える側は周りが思っている以上に責任を背負っているものなのです。

だからこそ、お母さんにだけ責任を押し付けないでほしいのです。

ちょっと話がそれますが、私は保育士をしてました。
高校時代だったかな、ある大人がこんなことを言いました。

「先生と呼ばれる人で一番偉いのは大学教授だ。」

私はこの言葉を保育士になった時、腹立たしく思い出したのを覚えています。

一番偉いのは大学教授ではありません。

そして一番楽なのは保育士ではありません。

もっと言うなら、誰でもありません。

誰も偉くないし誰も楽じゃない。

保育士は大学生や高校生に難しい化学や数式を教えることはできないかもしれませんが
逆に大学教授に

・排泄のトレーニングや
・先生のお話をお椅子に座って聞くこと。

これらを教えることは難しいと思います。
これを一番最初に教えるのが保育士です。
保育士がこれを教えているからスムーズに小学校へ上がった時
先生の話をお椅子に座って聞けるんです。


沢山の手遊びを交えながら集中力の続かない時期の子供達に
保育士に注目を向けながらモノを教えること
時にはお遊戯を交え「静」と「動」をリズムよく繰り返しながら
園児に分かりやすく話し伝えるのは保育士だからできることです。

園児たちは自分で体調の変化を訴えることができません。
突然嘔吐したり発熱したり下痢でパンツを汚したり日常茶飯事です。
朝のご挨拶時に「いつもと違う顔してるな」と思ったら気を配ります。
そして大体、午後くらいに症状が出て当たるんです。

保育士は2歳児から6歳児までの約4年間かけて
小学校へ上がるまでに就学準備をしていきます。

考えて見てください。
3歳児の3月生まれと4月生まれでは1年の月齢差があるんです。
ハサミ一つ使えなくて当たり前の園児と、使える園児が同じクラスにいるんです。
2歳児クラスでは2歳になりたての園児と来年の3月に2歳になる園児が同じクラス内です。
排泄でオムツが取れていない子がいてもおかしく無いのです。
その月齢差を考慮しながらクラス運営をしていきます。

大学や高校には無いことです。

今私は自分が保育士だったから詳細を書けますが、
小学校、中学高、高校、大学とそれぞれに先生たちにはご苦労があると思います。

だから、誰が偉いとか無いんです。


ただ、ここで言いたいのは、話が逸れすぎてしまいましたが
子育てはそれぞれの家庭でするものであって
家庭は学校ではないんです。

保育士なら0歳から6歳
小学生なら7歳から12歳まで
中学生なら13歳から16歳まで
って言う具合に決まってるけれど

子育てはずっとです。

そのずっとの間、母親一人に任せるのはどうかと思います。

それが1人目であろうが3人目であろうが
何人であっても、その子その子で違います。

子供のことは母親がやって自分(夫)は仕事さえしていれば責任を果たしていることになる。

…って言うのは違います。

もちろん家族を守っていく為に社会で働き続けることはプレッシャーもあるでしょう。
(って言うか私なんかは組織に入って同じ時間に毎日通勤することだけでも尊敬の域ですが💦)

けど、女性も働いてる場合、パートだからと責任がないわけはありません。
その仕事の責任も持ちながら子育ても、家事もっていうのはあまりにも荷が重すぎると思います。

仮に仕事をされていなくともです。

一人の人間を社会に自立できるまで母親一人で担わせるというのは酷です。
離婚したり死別したと言うのなら話は別ですが
同じ屋根の下に住みながら、妻が子供のことで一人で悩み心配しながら全てを背負い
夫に相談しても「わからない」「君に任せている」ってもし思っていたり言ったりするのなら
逆にその言葉自体が無責任ってもんです。

それならば
・なぜ子供を作ったのか?
・なぜ共に暮らしているのか?

共に暮らしながらも相談しても背を向けられることで
どれだけ母親を孤独に追いやっているか?
共に暮らしているからこそ、その態度が妻を(母親を)孤独にさせるんです。

では、なぜ多くの父親は子育てに積極的ではないのか?

とても残念なことですが、この男たちにも背景があります。
ある芸能人がこんなことを言っていました。

「自分は父親が幼い時からいない。
だから、結婚して子供ができて、どうやって父親をやればいいのか分からなかった。」

このかたの場合は父親がいなかったことで「父親」という「あり方」が分からなかった。
と言うておられますが、逆に父親が居ても同じようなことが起きます。

よく遊んでもらった人なら子供と遊ぶときに自然にできる人が多いと思いますが
遊んでもらえなかった人や、家にいても関わりがなかった。
会話がなかった。いつも不機嫌で当たり散らされていた。
そんな家庭で育った人の多くは父親になった時
子供が近寄ってきても接触することさえ気持ち悪いと感じる人もいたりします。

これは、もしかしたらスキンシップが圧倒的に足りなかった。
…からかもしれません。

けれど子供の方は欲するままに体当たりしてきます。

その度に父親から「鬱陶しい、あっちへ行け」と拒否られる。

そんなことを続けていたら
そのうち、自分の子供も自分と同じように大人になって親になった時
「親としてのあり方が分からない。」…となるんでしょう。

これが負の連鎖ですね。

悲しい継承です。

あの時に傷ついた自分がいて、その傷を怖くて痛くて自分が見てあげられていない。
だから、子供が求めてきても受け入れられない。

けど、それもこれも、本人は
よく分からない。
分かっていない。

というところだと思います。

なんせ、構造も、やり方も、全てが謎だらけで、分からないんですから。


こうやって父親は母親に押し付けて、かわせるかもしれませんが
(全ての父親がかわしているとは思っておりません。)
同じような現象は実は妻側にも起きているということは知っておいてほしいと思います。

それでも、母親(妻)はイライラしたり腹が立ったりしながらも
泣きながら、自分に対してもどかしく思いながら必死に子育てをしている。

この辛さを「子育てが大変で…」と夫に話したくなるんです。

相談という形で自分の内側から湧いてくる子供への怒りやイライラを知ってもらいたくて。

夫たちに願うことは
そこで明確な答えが欲しいわけではなく
ただ共に、その妻の悩みの大変さを面倒臭い顔をせずに聞き
労ってあげてほしいなと思います。

ただそれだけでも良いんです。

これは夫に時々言うのですが
「たった一つの言葉で救われることが沢山ある。
逆に、その言葉によって傷つくこともある。」

言葉ってそれくらい力があるんです。

ここにお金は一切掛かりません。

二人の子供です。

一人に任せるのは、そもそも最初から間違っているんですから。

女性だから子育てが上手いとか無いんですよ。

男性だから子育て出来ないじゃないんです。

二人の大事な子供だからこそ、この子の為に
この子がしたいこと、楽しいこと、得意なことを伸ばしていける環境を
一緒に考えることはできるのではないでしょうか?

子供が思春期に入り、反抗し、難しい時期に来ているなら、そのことを共有し
お互いの思春期の時のことを思い出して話すだけでも負担を軽減できると私は思います。
そこから見えてくるものだってあるかもしれませんから。

本日の音声配信 stand,fm

子育ては自分の生い立ちの炙り出しが起きやすいと私は思っています。
子供を持つまでに自分のことをよく知り傷を癒しておられる方であれば
子育てを責任という重みより別の視線で楽しめるかもしれませんが…

だから子育てを終えた後の孫を見る年齢になって
やっと分かることも出てくるんだろうなって思ったりします。

今日は私の子育てを思い出したところからツラツラ書いてみました。

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