だいたい人は与えられてこなかったものを欲するんです。
大体自分から見て「あの子のお母さん、いいなぁ〜」って思っていても
あの子はそうは思っていないかもしれないんですよね。
そしてそれはお互い思ってるかもです。
自由奔放か?それとも、手取り足取りか?
自由と言ってもね、言い方変えれば放任とかネグレクトって言葉もあるしね、、、
手取り足取りって言ってもね、過度な注目や過保護や過干渉や監視って言葉もあるんよ。
大事なのは本人がどう感じているのか?なんですからね。
本人が「過干渉だ!」って感じたらそうだし
「なんでも相談に乗ってくれる信頼できるママだ」って感じていたら良好だしね。
でも、どう感じてるか?聞く前に大事なことあるんです。
だけどその前に、どう感じているかなんて最初っから聞かれても答えられませんよ。
その前に、感じるには何か比較するものや経験や体験がないと感じることさえできないですよ。
更に
相当年数、子供の気落ちを聞かずに抑圧をかけてきたら
子供はすでに感じることを放棄して
(その家で生き延びる為にはそうするしかない場合もあるでしょう。)
親が今までの子育てに危機感を感じていきなり
「どう思った?」「何感じてる?」「どうしたい?」
質問されても一個も答えられないです。
今まで封印してきた自分の考えや気持ちを
まして封印して自分を守ってきた気持ちを
出すことなんてできるわけがないじゃないですか。
命取られるほど怖いことです。
その場合は親も子もケアが必要だったりします。
そして人間関係で、この生い立ちが影響する。
生い立ちの中に「自分が我慢すれば丸く収まる。」
そう言い聞かせて自己犠牲のパターンを持ってきた人は
社会に出た時、いえいえ、その前の学生時代から面倒な役を引き受け続けるかもしれません。
自分が言いたいことがあっても「黙ってろ!」て言われ続けた人は
自分の考えや意見を会議で言えず仲間から役立たずと言われるかもしれません。
話を聞いてもらいたくても聞いてもらえなかった人は
周りの人の話を聞くことができず自分ばかり話の流れも読めずに喋り続けてしまい
気がつけば孤独になってることがパターンで持ってるかもしれません。
人の話を聞く「聞き方」が分からないからです。
今ほんの少しパターンを書いてみたのですが人それぞれに色んな背景があって
その背景によって自分らしく生きられず生き苦しさを抱えておられる方は
人との距離感だったり関わり方が分からず人間関係で悩みを抱えておられる気がします。
ただ、受けていないものは、そこから紐解けます。
人は受けたものを得てそこから今度は逆のものを求めるものです。
だからどんなに精一杯子育てをしたとしても、
子供は反対岸へ行き、そこから景色を眺めてみたいと願うものなのです。
ここで間違わないでほしい。
親はどんな時も一生懸命育ててます。
そしてそれでも子供から訴えがあった時
「ああ、そうかこの子は今、これまで受けて来なかったものを私に教えてくれてるんだな。」
そう思ってあげてみてほしい。
親の育て方が悪かったのではなく
「十分もらったから、もうお腹いっぱいだ。」
そう言ってるだけなのですから。
子供にご飯食べさせる時
同じおかずばかりだと飽きて食べなくなりますよね?
それと同じことを言うてるだけですから。
2023/2/21 配信 stand,fm
今いる自分の立ち位置は
向こう岸に行ってみて
初めて知るかもしれませんね。
カウンセリングを受けようと行動を起こすには それ相当の勇気が必要だと思います。 その勇気、私は歓迎いたします。(^^) Facebookではプライベートも呟いております。 藤田侑杏恵Facebook |
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