私が発達障害ADHD/ASDと診断受けるまでの困り感 その2

発達障害ADHD当事者にとって最も大切なこと。

前置き

これはあくまでも私の場合の話です。
全ての人に当てはまるわけではありません。
だけども私は発達障害ADHDの診断が降りていることも事実です。

    

注意欠陥

私は何かの組織に属して責任あることを任されたら非常に困るので
(まずどんなに気をつけていても何かミスすることは確定される。)
だからやりたくないんです。
でもそれは自分の注意が足りないからであって私が悪いんだということになるから
「できません」って言えない。
だって皆ちゃんとできるじゃない。私だけがなぜできないから無理って言える?

ある日、日付ごとにまとめてある書類を任されたんですけど、何かが足りなくて探しているうちに
左手で持っていた書類がどのタイミングで置いたのか分からなくなり、他のものと混ざってしまった。
もう、大慌てです。

こんなことが普通にある。

今の私が何が困るって確定申告。
経費で入力するのにノートにも書いてるんだけど、それと領収書が照らし合わせても見つからない時。

どこへやったんやぁ〜〜〜〜ばかばかバカ〜〜〜ってなります。

けど個人事業主なのでまだいい。

忘れ物

小学生の頃、忘れ物が多くてね、、、
毎日持っていくものが変わる。
最初の頃は楽しかったんよ。
でも途中から段々飽きちゃって💦

忘れ物が多発する。
そのうち担任から家まで取りに行くように言われるようになって
けど私の家は校区内でも一番遠い地区で取りに帰って学校へ戻った時には授業終わってる。
その授業は丸々抜ける。
それでなくても集団で授業を受けることが私には困難だったのにさっぱり分からん。

でも罰として取りに行かされる。

体力的にもしんどいので私なりに考えたのが
全ての教科書とノートとドリルを毎日ランドセルに入れておく。
これで問題解決!笑

今思えば涙ぐましい努力でした。
始業式だけでも終了式だけでも重たいランドセルを背負って行ってました。

ここで私は心配と不安を持つようになった。
叱られないように、笑われないように。

だけどある日、男子に私のランドセルの中に全ての教科書が入っているのを見つけられ
またそこで笑われて痛い目に遭うんですけどっっw

多動

保育士を目指していた頃、姉の勤めていた会社へ(観光名所でした。ここでは名前は伏せますね。)
遊びに行ったことがあります。
姉が仕事終わったら一緒に帰れば良いと思ってお迎えがてらお友達と行ったんですね。
姉に声かけて観光しようとその場を離れた後その様子を見ていた姉の上司。
「就職させたってもええで、あれは土産売り場やな。」という意味のことを姉に言うたそうです。
姉は高級品売り場配属でしたので客層も違う。

私には土産売り場が似合うということですね。

別にね、土産売り場がアカンとかじゃないんです。
その上司が言うた言葉の意味。
姉がその話を家族にした時に家族が笑ったその瞬間。

どういう意味だったか知ったんです。

周りに理解がないことで生き辛さが増し二次障害も引き起こす可能性もある。

脅すわけではありませんが可能性はあります。
理解されないことによって下手すれば鬱や双極性だけではなく法を犯す事で助けを求める。
そこまで追い込まれる事だってあります。
法を犯さなくても何年か経って、言わずにきた思いをぶつけることで人を傷つけることだってある。
だけど当事者だけが悪いのではないです。
理解をしようとしなかった周りの環境達にも責任の一旦はあります。
今は時代も違う。昔のままでは通らないことも出てきます。

“見えない障害”と生きる12歳男の子「今思うのは発達障害あっての俺だから」皆が生きやすい社会へのヒント

この記事のお二人の言葉が残りました。

安田教授:「診断がついていようがついていまいが、どの子も、ある意味でのデコボコを持っていて、どの子にもきちっとした理解と対応をしていく延長上に、発達障害もあったり
重度の障害もあったりすると思うので、特別支援教育が特別じゃなくなることが大事なこと」

同感です。特別と言うてる時点で別扱いです。

颯馬君の担任の教師:「その子本人へのアプローチっていうことも必要だとは思うんですけど
周りの理解がまず必要かなとは思うんです。
そういうふうにすれば、他の子にはやらないようなことを僕がしても
不思議がられることもないですし、なので僕は集団っていう周りの環境
人的な環境を整えてから個人に対応するっていうふうにしています」

この担任の先生は素晴らしい。
まず周りの理解がどれだけ大事か。
そこを伝え
理解を求めることで彼を守っているし皆んなの心も大切に守っている。

いかに周りの理解が大切か。私はそう思います。

だけど何よりも私が理解しようとされている方々に伝えたいこと。

今回ご紹介する記事。
この記事の内容全てが発達障害ADHDだと思わないでほしい。
この記事の内容が全てではないです。
色んなものが混ざっている。
そこに生い立ちも含まれる。
これ全てをテキストにしないでほしい。
一人一人違います。
だからこそ、その子にとってどんなケアが必要なのか、
その子だけのケアです。
じゃぁ、どうしたら良いかわかりますよね。
当事者なしに勝手にケアを決めない事です。
これを私は一番大事にしてほしいと願っています。

これは育児・子育てでも言えます。

例えば、誰が使うものなのか?
その使う本人の居ないところで勝手に用意したり準備したりしないことです。

もう一つ大事なこと

これはスタンドFMでも今日予約配信したのですが(配信自体は数日後になります。)
「どうしてほしい?」っていきなり聞かれてもね。
「分からない。」って人もいると思います。
それは今まで聞かれてこなかった時間が長すぎて自分が求めることが何なのか
分からなくなっているからです。
こういう状態の人に、しつこく聞くことは やめてほしい。
まず、言えるようになるところまで伴走することが最優先です。
そこをしないで「言ってごらん。」は相手を困らせるだけでありケアではないです。

ご紹介記事です。

“見えない障害”と生きる12歳男の子「今思うのは発達障害あっての俺だから」皆が生きやすい社会へのヒント

目に見えないからこそ理解を求めることが困難なのです。
見た目、機能は全て揃っているように見えてるからね。

必要な方に届きますように…

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それ相当の勇気が必要だと思います。
その勇気、私は歓迎いたします。(^^)

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