私は競争・比較・偏差値・平均値・等に煽られると自分を虐めている感覚になる。

そもそもこれらは他者から仕向けられたものであって…

自分から選び取った記憶がない。

幼い頃の記憶は途切れ途切れで一番古い記憶がどれだかわからないけれど
少なくとも私は自分から「競争」に楽しさを覚えたことがない。
だから

数字きらい😠
競争もきらい😡
比較もきらい😤 (過去の自分との比較は🙆)
偏差値とか順位とか成績とか

本当きらい😬

中でも煽られるのがむっちゃきらい😤

ほっとけ💨 て思う。

それで何を測りたいのか?
測りたがってる側の都合でしょう。

て思う。
これ全部自ら好んで選んできたことではないです。

だけど必要な瞬間もある便利なツールでもありますね。

順位とか成績とか偏差値とかね、便利なツールではある。
この便利なツールを一番最初にどう伝えられたかによって受け取る印象が変わってくる。
だから一番最初にどんなふうに教師や親達から教えられたか。

これが私の場合はあまり気分よく聞けなかったんだと思う。
(それまでに親や兄弟姉妹からの比較された記憶もあるかもですね。)

どんな風に伝えられていたら良かったんだろう。

少なくとも誰かと比較してとか
どの学校が優秀でとか
その上で今の私なら、ここしか行けない。
とか
ここら辺が精一杯じゃないか?
とか

そういう言われ方ではなくて

何を目指したいのか?
目的は何か?

と聞かれた上で、
「よし、それなら今この辺りだから二学期までにこの辺に行けるようにサポートするよ。」
とかね
「この教科は大丈夫そうだけど、この教科が少し弱いからここを補っていこう。」
とかね、具体的に言われたら方向性が見えてくる。

目的も目指したいものもないこともある。
頑張っても叶わないこともある。

それらもひっくるめての、その人の時間だと思う。

皆と同じペースでやらないといけないことは辛い。
だから平均値とか偏差値とか人によっては今は無理なこともあるよね。

色々な意味がある数字。

私は幼稚園から小学校へ上がるときに

「友達100人できるかな。」

っていう歌がね、大人になって気がついたけど

「あれはプレッシャーだなぁ〜」

って思うようになった。

子供の多くは言葉をそのまま受け取る。

100人ってねぇ〜😅 歌があかんとかじゃないですけどね。
あの時代はOKだった。だけど時代が今は違う。

私自身が多くの人と友達としては付き合えない。
薄っぺらい関係の人は友達とは私は呼んでいない。
多分相手もそう割り切ってると思う。

お友達ではなくて、こちらがある人のことを注目していて(例えば大好きな有名人、芸能人とかね)
その方がSNSで投稿するのを見たくてフォローするっていうのはある。
お互いお友達だなんて思っちゃいないし、こちらがその人の投稿が見たいだけだし何より

ファン!なんで❤️

だから数字は人によって持つ意味が違ってくるんだと思う。

私は繋がりを大事にしたい。
という思いと
私が好きな人の投稿を楽しみにして見るのと同じように
私の投稿を見たくて繋がってくださるクライエントさんや
今、悩みを抱えておられる方々との繋がりを大事にしたいと思っている。

煽られたら乗らない。

自分と違う意味でその数字の意味を持っておられる方との共有スペースっていうのはあると思う。
そうすると何だか居心地が悪く感じられたり
比較されてる気がしたり、自分を恥たり。

だって見えちゃうからね。

だけどそうすると何だか自分を卑下して、いじめる方向へ行きかねないからね。

あなたとステージが違うところにいる人と無駄に戦わない。っっw

自分を大事にしてあげましょうね。


今日はふと数字という文字が朝の瞑想中に浮かんだので投稿してみました。

それでは、また!

今日は過去の音声配信からではなく、文字だけの配信で^^

夕方、音声配信は更新しますね。

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