「ちゃんとしなさい」
私の子どもたちが自立して社会人になって一人暮らしを始めてから数年が経ち
ふと、自分の子育てのことを思い返すことが増えました。
先日も何がきっかけだったか忘れましたが
「自分の考えを持てるって大事やな」
そう思う瞬間がありました。
そして改めて、私は子どもたちに
“自分で考える力”を育めてきたか?
そして、それができていたとしても
随分子どもたちの年齢が大きくなってからだったような…
今日はblogを書きながら
自分の子育てを振り返ってみようと思います。
私は親になって、イケメン息子にもべっぴん娘にも、今思えば
かなり厳しく
関わってきていました。
「ちゃんとしや」
「きちんとしとき」
「言ったことは責任もって最後までやらなあかんで」
「嘘はあかん(相手からの信頼をなくす)」
「裏切ってはいけない(人を傷つける)」
「約束は守りなさい(誰からの責めを負わないように…とか)」
そんなふうに、正しさを強く教えようとしてきた気がします。
これは子どもたちが社会に出た時に困らないように…
という思いもあったかと思いますが💦
「親は間違ってはいけない」と思っていた私
そして子どもに対してだけではなく、
自分に対しても、
親は(自分)間違ったことを教えてはならない。
親は嘘はついたらいけない。
親は正しく伝えないといけない。
親は何が正しくて何が間違っているのかをきちんと伝えないといけない。
そんな硬さを、ずっと自分にも課してきたのだと思います。
でも今振り返ると、私がそこまで「親は間違ってはいけない」と思ってきたのには、
自分の育ちも大きく関係していた。
…のだと思います。
私はどこかで、
親は絶対で、
正しくて、
間違わない。
そんな神様みたいな存在として思い込まされてきた。
そのようなところがあったように思うのです。
だから親である自分も、そうでなければならない。
と思っていたのかもしれません。
「親も間違う」と気づいた時の怒り
だけど、ある時期から、
親も間違うし、
絶対でもないのだ。
と気づき始めました。
(これ当たり前の事なんだけどね…)
その時、”ほっとした”というより、腹が立ってきたんです。
親は絶対だ と信じてきた。
親は正しい と思ってきた。
だから私は、そこに合わせるしかなかったし、
仮に親の方が間違っている
これ、おかしいちゃうん?
そう感じたり、思うことがあったとしても
親が間違うわけがない。
親は絶対なんだから。
親が言うことが正しいんだ。
だから、こんなことを思ってしまう自分の方がおかしいのだ。
…と思うしかなかった。
でも実際には、
親も間違う。
絶対でもない。
思い込みもあれば、未熟さもある。
感情的にもなる。(っていうか母親は特に常に何かしらに対して怒っていた。)
それなら、
あの時あそこまで苦しまなくてもよかったのではないか?
あそこまで自分を押し込めなくてもよかったのではないか?
そう思った時、怒りが込み上げてきました。
その怒りは、たぶん親そのものに対する怒りだけではなく、
絶対だと信じて必死に合わせてきた時間や、
自分の感覚を何度も打ち消してきた苦しさにも向いていたのだと思います。
自分で考えるということ
そしてそういう流れは、私自身が
「自分で考える」
ということをどう育まれてきたかにも重なっています。
私は、自分で考える時間を、見守られながら与えてもらった感覚が
あまりありません。
親との会話そのものも少なくて、自分の気持ちを言葉にして表現する土台そのものを、
十分に育ててもらえなかったように思います。
いえいえ、育ててもらっていない。
親の言うことが絶対なんだから自分の考えの「か」の字も出てくるわけがない。
(親は私のことを「何でもよく話す子」だと思っていたかもしれませんが
実際には私が安心して何でも話せる環境はそこになく
また、何も話さなくても良いという環境もなく
一番大切な「私の気持ち」について安心して出せる環境がなかったことが問題だった
と私は思っています。
だから大人になってカウンセリングを受けた時、
自分の気持ちを聞かれても、
自分がどう思ったのかを聞かれても、
自分はどう考えたのかを聞かれても
それを言葉にすること自体のハードルがとても高く困難に感じられました。
何をどう話したらいいのか分からない。
そもそも、自分が何を感じているのかさえ、すぐには分からない。
そんな感覚がありました。
それでも、急かされることなく、
ただ黙って見守られながら待ってもらえる時間の中で、
少しずつ言葉になっていくものがありました。
あの時間の心地よさは、私にとって生まれて初めて感じる種類のものでした。
世の中にはこんな風に人の話を遮ることなく、
そして言葉にできなくてもただ黙って優しい目で見守り続けて待てる人が
現実世界で存在するんか!
これは嘘か?
ホンマに現実か?
もしかして、これは夢のなかか?
そんな風に感じました。
責めるわけでもなく、その人の考えを押し付けてくるわけでもなく…
私自身がぞんざいに扱われるのではなく尊重される感覚。
今でもあの時感じたことをはっきり覚えています。
だから今は、「自分で考える」ということは、
ただ一人で答えを出すことではないのだろうと思います。
安心して立ち止まれること。
急かされずに待ってもらえること。
分からないままでも、そこにいていいと思えること。
そういうものがあって初めて、
人は少しずつ自分の気持ちを感じ、
自分の言葉で考えていけるのかもしれません。
さっき書いた
一番大切な「私の気持ち」について安心して出せる環境。
これが必須だと。
もし今、うまく言葉にできない思いを抱えている方がいたら、
それはあなたに考える力がないからではなく、
安心して考えられる時間や関係が、
これまで少なかっただけなのかもしれません。
言葉がすぐに出てこないことにも、ちゃんと理由があると私は思っています。
私は今、そんなふうに思っています。
そしてこれは、親子関係の中だけの話ではなく、
夫婦関係にもつながっていくものだと私は感じています。
「親は絶対で間違ってはいけない」
…とどこかで思ってきたままだと、
パートナーに対しても
「正しくあってほしい」
「間違ってほしくない」
という目線で見てしまうことがあります。
(私もそうやって見てしまっていた時期がありました。)
逆に、自分が間違ってはいけないと思っていると、
本音を言えなかったり、
違和感を飲み込んだり、
無理に合わせてしまったりすることもあるかもしれません。
(気づいたら、飲み込んでばかりになっていたり。)
でも、本当は人は誰でも間違うし、揺れるし、迷うものです。
そこを自分に対して「今はそうなんやね」と思ってあげること。
それは自分が自分に対して「自分の気持ちを安心して出すことを了解すること」
でもあります。
そこから今の自分の気持ちから思いへ。
そして思いから考えへとつながっていく。
そして
「それぞれの感じ方」を持ったままでも、
関われるようになっていくのかもしれません。
そんなことも、少しずつ見ていけたらと思っています。
執筆:家族関係の心理カウンセラー 藤田侑杏恵
このような思いで、日々カウンセリングを行っています。
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※音声配信は脱線しながらブログを読み上げて語っておりますが
ブログ記事は後日加筆修正されることがあります。



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