「相手に変わってほしい」と願うことは、すべて依存なのか #475

この記事を読む前に、お伝えしておきたいこと

この記事に書くことは、「温もりを求めて」で
夫婦カウンセリングを希望された方々のお話を伺う中で、
私が共通して感じてきたことを、藤田侑杏恵個人の見解として書いたものです。

ここに書く夫婦のあり方が、
すべての夫婦にとっての正解だと言いたいわけではありません。

お金の管理の仕方も、
家事や子育ての分担も、
出かける時にどこまで伝え合うのかも、
夫婦によって違ってよいと思っています。

一般的な夫婦の形とは違っていても、お互いがその形に納得していて、
どちらか一方が困っているわけでもなく、暮らしに支障がないのであれば、
それはそれでよいのです。

誰かと違うからといって、
「私たち夫婦はおかしいのではないか」
「この形は間違っているのではないか」
と思う必要はありません。

この記事で考えたいのは、夫婦の形そのものではありません。

一方は今のままで何の不都合も感じていないけれど、
もう一方は負担や苦しさを抱え、何度もそれを伝えている。

それでも、困っている側だけが我慢し、工夫し、
変わることを求められてはいないだろうか。

そのような夫婦関係についてです。

前回の記事では、「相手が変わらなければ、私は幸せになれない」と思う時、
その奥には、これまで傷ついてきた自分が、
ようやく報われる日を待っていることもあるのではないか。

そんなことについて書きました。

相手が自分の苦しみを認めてくれなくても、
私は確かに傷ついていた。
私は確かにつらかった。
私は確かに苦しかった。

その事実まで、なくなってしまうわけではありません。

相手の責任をなかったことにせず、自分も自分の痛みを見捨てない。

前回は、そんなことを書きました。

けれど、ここで一つ、分けて考えておきたいことがあります。
それは、

相手に変わってほしいと願うことは、すべて相手への依存なのか。

ということです。

「相手は変えられない。自分は変えられる」という言葉

心理カウンセリングの場でも、
「相手は変えられない。けれど、自分を変えることはできる」
という言葉が、よく使われます。

この言葉は、自分では動かすことのできない相手を待ち続けるのではなく、
自分を守るために何ができるのかを考える時には、
その人が自分の力を取り戻す言葉にもなると思います。

けれど私は、この言葉が使われる順番や場面によっては、
とても残酷な言葉になるとも思うのです。

これまで、その人がどれほど一生懸命に考えてきたのか。
何度気持ちを伝え、伝え方を変え、自分の態度も振り返り、
夫婦や家族のために頑張ってきたのか。

そこを見ないまま、
「相手は変えられないのだから、あなたが変わりましょう」
と言われたら、

「また私が変わらなければならないのですか。」
「また私の側に責任が戻ってくるのですか。」

と思う人もいるのではないでしょうか。

二人の生活のことなのに。
子どもがいるなら、二人の子どものことなのに。
なぜ、困っていることに気づいた人だけが考え、伝え、工夫し、
変わり続けなければならないのでしょうか。

自分を変えることが必要な時も、もちろんあります。
自分の考え方や伝え方を見直すことで、関係が動き始めることもあるでしょう。

けれど、それは、夫婦の問題を解決する責任まで、
困っている側だけが背負うこととは違います。

一人だけが考え、
一人だけが変わり、
一人だけが責任を引き受け続けることを、
心の自立とは呼べない


と、私は思うのです。

同じ「変わってほしい」でも、願っていることは違う

相手に変わってほしいと願うことの中には、異なるものが含まれています。

たとえば、
自分の理想どおりの夫や妻になってほしい。
自分が望む方法で愛情を示してほしい。
自分が不安にならないように、相手の行動をすべて把握し、管理したい。
自分とまったく同じ考え方や方法で、家事や子育てをしてほしい。

そうやって、
相手の考えや意思、個性まで自分の思いどおりに変えようとするのであれば、
それは、相手の自由や境界線を越えています。

けれど、
怒鳴ることをやめてほしい。
怖い思いをさせる行動を繰り返さないでほしい。
嫌だと伝えたことを、軽く扱わないでほしい。
家族に関わる大切なことを、一人だけで決めないでほしい。
家事や子育てを、一人だけの責任にしないでほしい。
夫婦の問題について、話し合いに応じてほしい。

こうした願いまで、
「相手を変えようとしている」
「あなたが相手に依存している」
という言葉だけで片づけてよいのでしょうか?

・相手を自分の理想どおりに変えたいと願うことと、
・安全や尊厳、共同生活を守るために必要な変化を求めることは、

同じではありません。

一方だけの自由や都合のために、もう一方の人生を差し出させないでほしい。

そう願うことまで、依存や支配と呼ぶ必要はない

と、私は思います。

「寂しい」「安心したい」と伝えることは依存なのか

夫婦であれば、

寂しい。
話を聞いてほしい。
もう少し一緒に過ごしたい。
大切に扱ってほしい。

そう願うこともあると思います。

こうした気持ちを伝えること自体は、依存ではありません。

自分の気持ちを知り、それを相手に伝えることは、
夫婦関係を続けて行く上でも大切なことだと思います。

ただし、

「私が寂しいのだから、あなたは必ず私のそばにいなければならない」
「私が不安にならないように、あなたは自分の予定をすべて変えなければならない」

と、相手の意思や生活まで自分の気持ちに従わせようとすれば、
相手の境界線を越えています。

大切なのは、
自分の願いを伝えることと、
相手の答えや行動まで支配することを分けて考えることです。

けれど同時に、伝えられた側にも、

「それはあなたの問題だから」
「寂しいと思う方が依存している」

と相手の気持ちを切り捨てず、
その言葉に耳を傾けようとする思いやりや優しさがあってもよいのではないでしょうか。

もちろん、相手の言葉に耳を傾けることが難しい側にも、
そうできないだけの理由があるのだと思います。

・なぜ、相手の言葉を受け止めることが難しいのか。
・なぜ、責められたように感じるのか。
・なぜ、逃げたくなったり、拒否したくなったりするのか。

その理由は、その人自身の心の内側にあると私は思っています。

自分の中にある理由を見ていくことは、
自分の行動が何とつながっているのかを知る手掛かりになります。

だからこそ、気持ちを伝える側だけではなく、
伝えられた側も、それぞれが自分の心に目を向けていくことが大切なのです。

知らなかった時と、伝えられた後とでは、同じことを繰り返す意味が変わる

人はそれぞれ、育ってきた家庭も、当たり前だと思っていることも違います。
例えば
・何をされたら傷つくのか。
・何を怖いと感じるのか。
・何を大切にしてほしいと思っているのか。
・どこからを束縛だと感じ、どこからを必要な情報共有だと考えるのか。

最初から同じとは限りません。

だから、本当に知らなかったこともあるでしょう。
なぜお互いの見解が一致しないのだと思うこともあるでしょう。
最初は、悪気なくしていたこともあるかもしれません。

けれど、
・「その言い方は傷つく」
・「それをされると怖い」
・「一人で全部を抱えるのは苦しい」
・「これは一緒に考えてほしい」

と伝えられた後も、同じことを繰り返すのであれば、
知らなかった時と、伝えられた後とでは、
同じことを繰り返す意味が変わってきませんか?

悪気がなかったことと、実際に相手が傷ついたことは別です。

だからといって、相手が傷ついたと言えば、
すべて自分が悪いと決めなければならないわけでもありません。

相手の反応の中には、こちらが知らない過去の傷つきや、
トラウマのような深い傷が反応していることもあります。

本人にも、そう感じてしまうことや
衝動的に起きる行動も
すぐには止めることのできないほど
強い悲しみや恐怖として現れることもあるでしょう。

そのような時に、
「気にしすぎだ」
「そんなことで傷つく方がおかしい」

と片づけるのではなく、
相手の心の中で何が起きているのかを理解しようとすることも大切ではないでしょうか。
もちろん、相手の心を100%理解することはできないかもしれません。

※ここから、性被害に関する内容に触れます。

極端な例かもしれませんが、過去に性的虐待や性暴力を受けた人にとって、
パートナーとの性的な関わりが、本人にも止めることのできないほどの
恐怖や緊張を呼び起こすことがあります。

相手を愛していないから、性的な関わりを持てないのではありません。

心や身体が過去の危険を思い出し、自分を守ろうとしていることもあります。

その人が、パートナーとの性的な関わりを持つまでに、
どれほど大きなエネルギーを使っていることか。

そこを理解しようとしないまま、

「愛しているんだよね。だったら、できるよね」

と求めることは、愛情を理由に、
相手の同意や心身の状態を軽く扱うことにもなりかねません。

性的な関わりに応じることは、愛情を証明することではありません。

けれど、相手の過去の傷を理解できたとしても、それで終わりではありません。
そして、相手の傷を理解した側が、
その後も同じ言動によって傷つき続けることまで、
我慢しなければならないわけでもありません。

理解することは誰か一人が我慢を続けるためのものではなく、
二人がこれからどのように関われば、お互いに安心していられるのかを
考えるための手掛かりなのだと思います。

過去の傷を抱えている側も、
自分の反応によって相手を傷つけていることが分かったなら、
自分の心の中で何が起きているのかを見ていく。

相手の傷を知った側も、
相手を責めるだけではなく、
その人の心の中で何が起きているのかを理解しようとする。

そうやって、お互いが自分の心と行動を見ながら、
二人が安心していられる関わり方を考えていくことが大切なのだと思います。

傷ついたと伝えられた時には、
何が嫌だったのかを聞く。
自分の言動を振り返る。
必要なら謝る。
同じことを繰り返さないために考える。
お互いにできることを話し合う。

そうした責任は生まれるのではないでしょうか?

それでも、
「自分は悪くない」
「そんなつもりではなかった」
「傷つく方に問題がある」

と相手の訴えを退け続けるのであれば、
困っている側だけが変わることで解決できる問題ではありません。

知らなかったことそのものを責めるのではなく、
知った後にどう向き合うのか。

そこに、その人が夫婦の問題をともに担おうとしているかどうかが表れるのだと思います。

お互いが、自分の言動と自分の心に目を向けていく

相手に変わってほしいと願う自分を見た時、すぐに、
「私は依存している」
「相手をコントロールしようとしている」
と決めつけなくてもいいと思います。

まずは、私は、相手を自分の理想どおりに変えたいのだろうか。
それとも、
安全や尊厳、共同生活を守るために、必要なことを求めているのだろうか。

と、分けて考えてみる。
そして同時に、

私はなぜ、これほど強く反応しているのだろう。
私の心の奥では、本当は何が起きているのだろう。

と、自分の心にも目を向けていく。

自分の心を見ることは、
「結局、私の受け取り方が悪かった」
と、すべての責任を自分に戻すことではありません。

相手に向き合ってほしいことを伝えることも、
「すべて相手が悪い」と決め、相手だけを変えようとすることではありません。

相手に向き合ってほしいことを伝えることも、
自分の心に目を向けることも、

どちらも大切です。

夫婦の問題を、一人だけの責任にしない。
分からなかったことは、お互いに知っていく。
うまくできなかったことは、二人で考えていく。

お互いに好きになり、「この人となら、一生ともに歩いていける」
そう思ったからこそ、夫婦になることを決めた人も多いのではないでしょうか。

もちろん、人間同士です。
相手を好きだと思う一方で、結婚する前から、
どこかに心配や不安を感じていた人もいるかもしれません。

それでも、この人となら補い合っていける。
二人なら乗り越えていける。

そう思って結婚したけれど、実際に一緒に暮らしてみると、
思っていたものとは違っていた。

そんなこともあると思います。

けれど、違っていたから、もうすべてが終わりということではありません。

夫婦としてともに生きていこうと決めた相手と暮らす中で、
自分は何を心地よいと感じるのか。
相手は何を大切にしたいと思っているのか。
二人が安心して暮らせる関係とは、どのようなものなのか。

それを知りながら、お互いにとって心地よい関係や場所をつくっていく。

それは、末長くともに暮らしていくために、とても大切なことだと私は思います。

一人だけが我慢して、二人の関係を守るのではなく。
一人だけが考え、一人だけが変わり続けるのでもなく。
分からなかったことは、お互いに知りながら、ともに関係をつくっていく。

どちらか一方だけに責任を集めるのではなく、
お互いが自分の言動と自分の心に目を向けながら、
二人の関係を一緒につくっていく。

それもまた、夫婦関係における心の自立なのではないかと、私は思っています。

結婚してみたら、思っていた関係とは違っていた。
けれど、これからどうしたらよいのか分からない。

そんな時に、この記事が、
今の夫婦関係を見つめ直す小さなきっかけになればと思います。

次回は、「自由であることと、夫婦としての責任を引き受けないことは違う」

ということについて、もう少し考えてみたいと思います。

執筆:奈良県生駒市の心理カウンセラー 藤田侑杏恵
stand.fm配信 #475


このブログは、夫婦関係における「心の自立」について考える連載記事です。

前回は、「相手が変わらなければ、私は幸せになれない」
と思う時、その奥にある報われなさや、相手が認めてくれなくても、
自分まで自分の痛みを見捨てないことについて書きました。

→前回の記事はこちら 「相手が変わらなければ、私は幸せにはなれない」と思う時 #474

夫婦関係について、一人で考え続けることに疲れてしまった時は、
カウンセリングで、これまでの経緯や今のお気持ちを整理していただくこともできます。

相手を一方的に責めたり、どちらが正しいのかを決めたりするのではなく、
二人の間で何が起きているのか、どのような思いを抱えてこられたのかを
一緒に見つめていきます。

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本日の音声配信 stand.fm

「相手に変わってほしい」と願うことは、すべて依存なのでしょうか。

今回の音声配信では、
相手を自分の理想どおりに変えようとすることと、
安全や尊厳、共同生活を守るために、
必要な変化を求めることの違いについてお話ししています。

また、
「相手は変えられない。自分が変わるしかない」
という言葉によって、困っている側だけに責任が戻されてしまうことについても考えています。

相手に向き合ってほしいことを伝えることも、自分の心に目を向けることも、どちらも大切です。

参考になれば幸いです。

※音声配信は脱線しながらブログを読み上げて語っておりますが、ブログ記事は後日加筆修正されることがあります。


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