どうして、また私が動かなければならないの?
前回の記事では、
「夫婦関係における心の自立とは|相手に何も求めないことではない #473」
という題目で、
・夫婦関係における心の自立について
・相手に何も願わず、ただ耐えることが自立ではないということ
・自分の気持ちや願いを知りながら、相手の意思や境界線も尊重すること
・頭では分かっていても行動できない時は、誰かに頼ってもいいということ
について書きました。
今日は、その続きです。
ずっと、この関係を少しでも良くしたいという思いから頑張ってきた。
自分に問題があるのかなと思えば、友人に相談して話を聞いてもらった。
そして、自分なりに改善もしてきた。
伝え方や態度についても、何度も見直してきた。
もう、やれることはすべてやってきたんです。
それなのに、相手は何も変わらない。
自分だけが、一人で努力し続けている。
夫婦の問題も、家族の問題も、子育ての悩みも、すべて自分一人のことではないはずなのに。
何年も、何十年もこの状態が続けば、そりゃ疲れます。
そして、中にはこんな決断をする人もいるかもしれません。
・生活に困らないのなら、もうただの同居人として見よう。
・一人で生きる方がずっと楽だから、仕事を見つけて、定年退職したら離婚してもらおう。
・その時に困らないように、今から少しずつ準備しておこう。
ここまで心が決まってしまったら、その道を止めることは、かなり難しいかもしれません。
けれど、そこまで行き着く前の段階では、まだギリギリ踏みとどまりながら、
「ここまで私は、自分なりにいろいろ頑張ってきたんだから、
今度はあなたが自分で動く番でしょう!」
そう思っているのではないでしょうか。
私は信じて、ずっと待ってきた
「次はあなたの方から動く番でしょう」
そう思う裏側には、きっと、相手を信じて「今度こそ!」
…と期待してきた気持ちがあるのだと思います
でも、また繰り返される。
「またか……」
「これと同じこと、ずっと繰り返してきてるよね」
「だから何度も分かりやすく伝えてきてるのに、また?」
「じゃあ、今度はどう伝えたらいいの?」
「何回繰り返し伝えたら、分かるようになるの?」
怒りと虚しさと悔しさと、報われない思いでいっぱいになる。
この「報われなさ」が、一番つらいのかもしれません。
・これまで伝えてきた時間は、いったい何だったのか。
・何も伝わっていなかったということなのか。
・話し合って、伝えるたびに、「もう同じことは繰り返さないよね」と信じて終わる。
・それなのに、また同じことが起きる。
その時、私たちは、ただがっかりするのではなく、
「また裏切られた」
という気持ちでいっぱいになるのだと思います。
変わってほしいのは、私の苦しみを認めてほしいから
たとえば、
・子どもに対する接し方や、ものの言い方について、具体的な例を挙げながら伝えた時。
・感情的になった相手から、傷つく言葉や態度を受けた時。
・一緒にいるだけで怖いと思うような行動を、何度も繰り返された時。
それがどんなに、
嫌なことだったか。
つらいことだったか。
苦しいことだったか。
怖いことだったか。
分かってほしいから、諦めずに伝えているのだと思います。
それが仮に、自分が過去に受けた心の傷に触れたことで生まれた、
嫌なこと、つらいこと、苦しいこと、怖いこと
だったとしても、
・私が何に傷ついたのか分かってほしい
・私の苦しみを、なかったことにしないでほしい
・壊れた関係を立て直す責任を、あなたにも引き受けてほしい
そんな思いが隠れているのかもしれません。
それは、
相手が変わるのを待ちながら、実は、自分が報われる日を待っている
…ということではないかと、私は思うのです。
相手が自分の痛みを理解し、分かってくれたなら、
きっと変わってくれる
きっと直してくれる。
そうして初めて、自分が報われる。
だから逆に言えば、
相手が変わらなければ、自分は報われない
という構図になります。
「自分を悪かった」ということにしても、悔しさは残っている
ただ、中にはこんな人もおられるかもしれません。
相手と自分との「力の差」によって、
自分が悪かったことにして、生き延びてきた。
そうして、なんとかここまで生きてこられた人もおられるかもしれません。
生きるためなら。
私が我慢することで、子どもが守られるのなら。
自分の痛みくらい耐えられる。
そう思って、自分を抑えてきた。
けれど、繰り返される忍耐の中には、
やっぱりどこかに「悔しさ」が滲んで残るものだと、私は思います。
滲むんです。
滲みって、なかなか取れないものです。
・本当は、私だけが悪かったわけではない。
・本当は、こんな扱いを受けてよかったわけではない。
そんな思いが、心の奥に残り続けているのかもしれません。
相手が変わらなければ、私は永遠に報われないのか
夫婦関係で悩んでいる時、私たちは心のどこかで、
「相手が変われば、私は報われる」
そう信じて、待ち続けていることがあるのかもしれません。
もちろん、夫婦として相手にも向き合う責任はあります。
・自分の言動を振り返ること。
・必要なら謝ること。
・同じことを繰り返さないようにすること。
・壊れた関係を立て直したいのなら、そのために行動すること。
それらまで、すべて自分一人が引き受ける必要は私は無いと考えています。
(いや、もうそういうのさえ面倒くさいねん、
正直どうでもいい。食べていけたらそれでいい。
そう割り切れていたり、そこにエネルギーを費やす価値を感じないとかね、
それはそれでいいと思います。)
けれど、もし自分が報われる日を、相手が変わる日だけに委ねてしまったら、
相手が変わらない限り、自分は永遠に報われないことになります。
相手が認めてくれなければ、自分が苦しんだことまで、
本当ではなかったように感じるからね。
けれど、相手が認めるかどうかにかかわらず、
・私は確かに傷ついていた。
・私は確かにつらかった。
・私は確かに苦しかった。
その事実まで、消えてしまうわけではありません。
相手に変わってほしいと願う自分を、無理に手放さなくてもいいのだと思います。
相手の責任まで、なかったことにしなくてもいい。
けれど、相手が認めてくれるまで、
自分まで自分の痛みを疑い続けなくてもいいのではないでしょうか。
「私は見ているよ」
「あなたが苦しかったことを、私はなかったことにしないよ」
「誰が認めなくても、私はあなたを見捨てないよ」
そうやって、自分が自分のそばに戻っていく。
それは、相手を許すことでも、諦めることでもありません。
自分の人生の鍵を、少しずつ自分の手元に戻していくことなのだと思います。
ただ、ここで一つ、考えておきたいことがあります。
相手に変わってほしいと願うことのすべてが、相手への依存なのでしょうか?
相手を自分の思いどおりに変えたい願いと、
安全や尊厳を守るために変化を求めることは、同じなのでしょうか。
次回は、このことについて考えていきたいと思います。
執筆:奈良県生駒市の心理カウンセラー 藤田侑杏恵
stand.fm配信 #474
このブログは、夫婦関係における「心の自立」について考える連載記事です。
前回は、相手に何も求めず、一人で耐えることが自立なのではなく、
自分の気持ちや願いを知りながら、
相手の意思や境界線も尊重していくことについて書きました。
→ 前回の記事はこちら
「夫婦関係における心の自立とは|相手に何も求めないことではない #473」
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本日の音声配信 stand.fm
「相手が変われば、私は報われる」
そう信じて待ち続けてきた方へ。
今回の音声配信では、なぜ私たちは相手の変化を待ち続けてしまうのか、
その奥にある思いについてお話ししています。
参考になれば幸いです。
※音声配信は脱線しながらブログを読み上げて語っておりますが
ブログ記事は後日加筆修正されることがあります。


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