前回の記事では、夫婦の自由と責任について書きました
前回の記事では、夫婦になっても、一人の人間として自由でいていい。
でも、自由であることと、夫婦として必要な連絡や相談までしなくていいことは、同じではない。
そんなことを書きました。
「夫婦になっても自由でいていい。でも、責任まで手放していいわけではない #476」
その中で少し触れたのが、「行き先を教えてほしい」ということです。
夫婦になったからといって、どこかへ出かけるたびに
相手の許可を取らなければならないわけではないと、私は思っています。
どこへ行くのか。
誰と会うのか。
何時に帰るのか。
何もかも相手に報告しなければならない関係が、良い夫婦関係だとも思っていません。
いえ、それをお互い良しとしているなら、それはそれでいいんですよ。
夫婦になっても、それぞれ一人の人間です。
自分で決める自由もあっていい。
でも、「行き先を教えて」という言葉まで、
すべて相手を管理するための言葉になるのでしょうか。
今回は、私たち夫婦が結婚してすぐの頃にあった出来事から、
このことについて書いてみたいと思います。
今回も、これは私と夫の場合のケースであり
一人一人理由も背景も違うと思います。
ですからそこは大前提として…
夫に「行き先を書いて置いていって」と頼んだ
結婚してすぐの頃
同僚とスキー旅行へ出かけた時のお話です。
(夫にはblogで出すことは許可済みです。)
私は夫に「どこのスキー場で、どのホテルに泊まるのか、メモに書いて置いていってな」
と言いました。
すると夫は「なんで教えやなあかんねん」
私は、「(内心『はぁ?行き先、宿泊先教えるのは当たり前やろ💨』と思いつつ)何かあった時のために……」そこまで言って、言葉に詰まりました。
すると夫は、「何かあった時って何?」と。
(夫の口調は半ば怒りモードです。再び私は2度目の『はぁ?』です。)
私はそこで、もうそれ以上言うのを諦めました。
結局、夫は行き先を書いたメモを残さないまま出かけていきました。
30年以上前の話です。
まだ携帯電話もスマートフォンもなく、
外出している相手といつでも簡単に連絡が取れる今とは違う時代でした。
そして、こういう時に限って、嫌な予感というものは的中します。
夫が旅行へ行っている間に、私の祖父が事故に遭い、亡くなりました。
夫に連絡したいのに、連絡する方法がなかった
突然の出来事でした。
祖父が事故に遭った。
亡くなった。
ただでさえ頭の中が混乱している状態です。
夫にも知らせたい。
でも、夫がどこのスキー場にいるのか分からない。
どこのホテルに泊まっているのかも分からない。
連絡する方法がないんです。
親戚からも、「え?新婚やのに、行き先を置いていってくれへんかったんか?」
と言われたりしました。
でも、分からないものはどうしようもありません。
結局、夫が帰ってきたのは、祖父のお通夜も葬儀もすべて終わった後でした。
私は帰ってきた夫に、祖父の事故が載った新聞記事を差し出し、
「だから、行き先を教えろって言ったやろうが!」
と怒りをぶつけたのは、言うまでもありません(笑)
それ以降、夫があの出来事をどう受け取ったのか、私には分かりません。
ただ、「万が一」ということは、本当に起こることもあるのだ。
そんなふうに感じたのかもしれません。
その後は連絡先を教えてくれるようになりました。
それまでの「普通」は、夫婦で同じとは限らない
今、この出来事を改めて振り返っていて、一つ思うことがあります。
夫は結婚するまで、一人で暮らしていました。
仕事では報告・連絡・相談をすることがあったとしても、
私生活では、自分がどこへ行くのかを誰かに伝えなくても生活できていたわけです。
誰かに行き先を伝える必要もなく、自分で決めて、自分で出かける。
そんな独り身の生活を長くしていた夫にとっては、
「どうしてわざわざ行き先まで伝えなければならないのか」
という感覚があったのかもしれません。
単純に、面倒に感じていたのかもしれない。
あるいは、
監視されているように感じたのかもしれません。
もちろん、当時の夫が本当はどう感じていたのかは、夫にしか分かりません。
ただ、今なら、夫には夫の、それまでの「普通」があったのだろうなとも思います。
そして
私にも、私なりの「普通」がありました。
結婚したからといって、それまで別々に生きてきた二人の「普通」が、
自動的に同じになるわけではないんですよね。
夫婦になり同じ場に立っていたとしても
見ている景色はそれぞれ違うんだということです。
だからこそ、一緒に暮らしながら、
「私はこう思っている」
「あなたはそう感じるんだね」と、
お互いの違いを知りながら、少しずつ二人の暮らし方を作っていくことも
大切なのだと思います。
私が知りたかったのは、夫を管理するための行き先ではなかった
あの時の私は、まだ祖父を亡くした悲しみを
ゆっくり感じるところまで、たどり着いていなかったと思います。
突然の出来事へのショック。
夫に連絡を取りたいのに、取れない心細さ。
そして、「だから伝えてって言ったのに」という怒り。
いろんな気持ちが入り混じっていました。
でも今振り返っても、私が知りたかったのは、
夫の行動を管理するための行き先ではなかった。
夫がどこで何をしているのかを、逐一把握しておきたかったわけでもありません。
「そこへ行っていい」
「そこへは行ってはいけない」と、
私が夫の行動を決めたかったわけでもない。
何かが起きた時に、家族として連絡を取り合うために必要な情報だったんです。
同じ「行き先を教えて」という言葉でも、
言っている側と受け取る側では、
まったく違う意味に聞こえていることがあるのだと思います。
「伝えること」と「自由を奪われること」は同じではない
遠方へ行く時や宿泊する時に、行き先や宿泊先を伝えておくこと。
それは、
出かける許可を相手からもらうことではありません。
行動を監視されることでもありません。
自分の自由を相手に奪われることでもありません。
普段は、その情報が必要になることなんてないかもしれません。
何事もなく出かけて、何事もなく帰ってくる。
ほとんどはそれで終わります。
でも、何かが起きた時に初めて必要になる情報もあります。
私の場合は、それが祖父の事故でした。
だから私は今でも、遠方へ行く時や宿泊する時には、
行き先や宿泊先を家族に伝えておくに越したことはないと思っています。
「なぜ、それを知りたいのだろう」
夫婦の間では、「そんなことまで言う必要ある?」と思うこともあるでしょう。
自分にとっては、必要性が分からないこともあります。
でも、
自分には必要性が分からないことと、
相手にとって必要ではないことは、
同じではありません。
「行き先を教えて」
「遅くなるなら連絡して」
「夕食がいらないなら教えて」
そんな言葉を聞いた時、すぐに、
「束縛された」
「自由を奪われた」
「なんでそんなことまで言わなあかんの?」
と結論を出す前に、この人は、なぜそれを知りたいのだろう。
そこを聞いてみてもいいのではないでしょうか。
そして伝える側にも、
本当は伝えたい理由があるのに、そこまで言葉にできないことがあります。
実は私もそうでした。
「何かあった時のために……」
あの時、私はそこまでしか言えませんでした。
「事故が起きるかもしれない」
「家族に何かあるかもしれない」
そんな縁起でもないことを口にすること自体が、
私は嫌だった。
そして今振り返ると、理由はそれだけではありませんでした。
なぜ私は、あの時その先を言えなかったのか。
そのことについては、また次の記事で書いてみたいと思います。
執筆:奈良県生駒市の心理カウンセラー 藤田侑杏恵
stand.fm配信 #477
夫婦の間では、
同じ言葉でも、言う側と受け取る側でまったく違う意味になっていることがあります。
「行き先を教えて」という言葉も、
管理したいからなのか。
何かあった時に連絡を取りたいからなのか。
その理由によって意味は違います。
自分には必要性が分からないことでも、
相手には大切な理由があるかもしれません。
どちらが正しいかを決める前に、
「なぜ、そうしてほしいのだろう」
と、その言葉の奥にある思いを聞いてみることも、
夫婦のすれ違いを減らす一つの方法なのだと思います。
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本日の音声配信 stand.fm
ブログでは、「行き先を教えて」と伝えることは、
相手を管理したり、自由を奪ったりすることなのか。
結婚してすぐの頃に実際にあった出来事を振り返りながら書きました。
夫婦は、それぞれ違う環境で生きてきた二人です。
自分にとっての「普通」が、
相手にとっても同じとは限りません。
音声では、ブログを読み上げながら、
文章には書ききれなかったことも少しお話ししています。
参考になれば幸いです。
※音声配信は脱線しながらブログを読み上げて語っておりますが、
ブログ記事は後日加筆修正されることがあります。


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