謝罪の大切さ
抱えきれないのに大きな荷物をずっと背負って来たんです。
そりゃ、ぶん投げたくもなります。
だって、あなたは何にも悪くないんだから。
それなのに、いまだに当事者は引き取りに来ない。
来ないどころか、これまであなたに持たせ続けて来たことに対しても
謝りもしないし多分、気づいてもいない。
『これは元々私のものじゃないのに
なんで私が背負い続けなければいけないの?』
そう思って当然。
怒って当然なんですよ。
先日(2025年1月9日木曜日)ある方からスーパーバイズを受けました。
詳細はSNSで投稿しておりますので興味がある方見てみてください。
心理カウンセラーはクライエントの『今苦しい状況』を聞かせていただくお仕事です。
『今苦しい。』
その苦しさは今この瞬間に起きているようで実は随分前の過去と繋がっていて
まるでレコードが傷ついて同じところを針が飛んで進まないような感覚です。
(レコードという言葉は昭和世代しか分からないかもですが💦)
前に進みたい。
だけど自力で今まで頑張って進もうとして来たけれど何をどう足掻いても進まない。
そして誰かの手を借りる決心をしてカウンセリングの扉を叩く。
カウンセリングを受けることで少しずつ前に進めるようになる人は多くおられます。
だけど、、、
どこのカウンセラーのところへ行っても
セラピーを受けても一向に進めない。
仕舞いには何かに取り憑かれているのではないかと
除霊に行く人もおられるかもしれません。
それでも進まない。
カウンセラーをされている人の中にはご自身が壮絶な過去の経験をされていて
この仕事にたどり着いている人もおられるのではないかと思います。
私も壮絶かどうかはさておき、(いや、結構ヘビーです。)
どうしても進めないものを持っておりました。
(過去形で書いておりますが、実際はまだまだあるかもしれません。)
定期的にスーパーバイズは受けておりますし
受けてみたいという方が見つかったら、その都度お願いして受けております。
今回はその時のことを備忘録として。
そして今まで自分と近いクライエントさんのことも思い出したりしたので
ブログに残しておこうと思います。
諦めるということは決してマイナスではない。覚悟ができた瞬間です。
本当の意味で諦めがつく時は
あれこれやり尽くして
どのルートで行っても結局
一時的に景色が澄んだように感じても結局また靄がかかって
同じところに突き当たる
それを何十回、何百回と繰り返してきて
ある瞬間
『今まで自分で取り組もうともせず』
「他者任せ」にしていたことに
気がつく
まぁ、それ相当の過去があるから…
なんですけどね💦
(ここで注意しておきたいのですが
時々「あの人、重いよね。闇深いよね。何故あんななのかしら?」
ってことを言う人いますけど、
好きで重くて闇が深い人をやってる訳じゃないんです。
彼らこそ「軽く生きたい。」と切に願っている。)
『今まで自分で取り組もうともせず』
「他者任せ」にしていたことに気づき
そこで初めて自分に矢印が向く
『あの人もこの人もアカンかったやん💨』
ではなくて
取り組むことを放棄していた自分に
「頭」ではなくて、「心と体」で気付く
お〜!
やっときたぜよ!
みたいな感じで笑いが起こる
そして、やっぱり諦めきれていなかった自分の愛しさよ😢
まぁ〜ホンマな
よぉ〜頑張ったぜよ。
手放したくて
こんなの見たくないからサッサと捨てたくて
でも抵抗すればするほど粘着質で
放す方法を知りたくてカウンセリングを受け続けて
それでもコールタールのようにネットリしていて…
遂に匙を投げる。
でも、
やっと腹が決まる。
「なるほど、もう手放すのは無理やな。
ならば一生抱えて生きてやるわ。」
我ながら恐ろしい決断をしたものです。
謝罪がどんなに大事か
その瞬間、思い出したのは
・父親から性虐待にあっていてもなお
「あの人はそれでも私の父親なので
謝罪してほしい。」
とテレビのニュースで見た女性
・ドラマ「MIU404」の2話。
父親と上司が重なり殺してしまった。
父親から幼少期に強い抑圧を受けて来た少年時代。
人を殺したことを告げに何年ぶりかで逃亡しながら何とか実家に帰るのですが…
父親はすでに2年前に亡くなっていました。
『一度も謝ってもらっていない!死んでしまったら人を殺しても復讐にならないじゃないか!』
確かそんな内容の言葉を犯人役の男性は最後に言っていた。
やった側はその瞬間に終わっているかもしれない。
でも
やられた側は、その瞬間から苦悩と苦痛で生き辛さを抱えて生きていくことになるんです。
まだ幼い子供です。
生きていかなければならないわけですから
そこがどんなに地獄であろうと
何があっても堪えて辛抱して居続けるしかないんです。
だから何歳になっても何年経っても「沢山のあの時のこと」を
謝ってほしいのです。
その謝罪を受け入れるかどうかは、また別
でも、人として謝ってほしいのですよ。
現実はそう簡単ではないので
ここでどう決着つけるかは
その人が自由に決めたら良いのです。
法を犯したりしない
最も自分が納得できる方法なら
何でも良いのです。
あのな
手放せ
手放せ
赦せ
赦せ
て言う人は
自分がそれやっといてくれたらええんよ
他者にそれ押し付けたらアカンですわ
赦さないことでスッキリするなら、ええやないですか
イメージの中で手放さず
握り潰してもなお
そこに正座をさせ頭を下げさせ
一生怒りをぶつけ続けることで
スッキリするなら
それもええやないですか
見てる人がしんどいなら
それはその人の問題
当事者がそれでええんやから
そうさせる自由くらい与えろや
て思う
それでその人が生きていけるのなら
全力で私は応援する
カウンセラーも人間なので…
スーパーバイズが終わって数時間経った時
言葉が湧いてきて一気にメモに書いたのが上記の内容です。
カウンセラーは100%澄み渡った心の状態でいつもいられているわけではありません。
(あ、これは私の場合です。
どのカウンセラーも…って言うと他のカウンセラーの事は知らないので。)
心理の勉強はし続けておりますし、実際にワークもしますし
資格を取る為にある程度の自分の問題について取り組んで学びは深めます。
ですが、あの資格を取る為の学びの場では
とても浅い部分についてしか取り組んでいなかったと私は思っています。
あの学びの場に出る前に私自身はすでにカウンセリングを受け続けておりましたし
自分自身結構ヘビーな問題を持っていることも知ってましたしね。
けど、そこをその学びの場で出したら多分誰も取り扱えないことも知っていたので
自分の専属のカウンセラーから受け続けておりました。
それでも終われない。
クライエントからの話に反応する自分も沢山今までいました。
クライエントとのカウンセリング中は棚上げして
後から必ずそこについてはスーパーバイズで取り扱って受けて来ました。
そうやって一個一個自分の内側の問題を見つけてはクリアーにしていく。
地味ぃ〜な仕事です。
ただここだけは胸を張って言えます。
その自身の痛みを取り扱う時の怖さ。
(あ、ですがこれ、カウンセラーとしてはワクワク感もあります。)
自分の内側の深い暗い部分に一瞬光が当たった時
海底から一気に上がってくるような感覚。
内容によってはジワジワと浮き出てくる感覚。
その時、共に伴走してくれているカウンセラーの存在。
一人では絶対無理な場面に行けるのは
このカウンセラーが立ち会ってくれているからこそなんですね。
それを私自身が身をもって知っているということ。
これは強味です。
クライエントが私に話してくれている時
とても不安で怖くて話す内容を最初は考えている人もいるでしょう。
藁をも縋る思いで、なりふり構わずに話してくれている人もいるでしょう。
もしかしたら、私に怒りを感じながら話してくれている人もいるかもしれません。
それは全て、「その人が今そういう状態」ということの表れです。
良いんですよ。
その状態のまま話してくださって。
そして、仮に「このカウンセラー大したことなかった!」
そう思って一回コッキリでも良いんです。
この私の一回がなければ辿り着けない答えだってあるかもしれない。
その存在になれたことで私は良いんです。
今これを読んでおられる方の中には、もしかしたら
深くて暗くて闇と恐怖と痛みでぐるぐる回っている人もおられるかもしれません。
だけど、
それでも、あなたは(信じられないかもしれないけれど)
確実に前に進んでいるんです。
このブログではそこをお伝えできたらな…と思っての投稿です。
必要な方に届きますよう 祈りを込めて…
本日の音声配信 stand,fm
カウンセリングにクライエントさんが来られる時の目的は
それぞれだけど
カウンセラーは常にクライエントさんの「今」に注目し
心と思考の一致を大事にしております。
参考になれば幸いです。