2 子供をうまく愛せないあなたへ…

子育ての本当の目的は多分、頭では(知識として)ご存知ですよね…

生きる力というか…親はいつまでも生きていないわけで…

※前回もそうですが今回も特に私の持論です。
私自身受けずに大人になってしまったものが多くあり(多分私だけではなく誰もが…)
それによって子供達に負担をかけてきた何年間かがあります。
そこについて繰り返し繰り返しセッションを受けてきて見つけたものです。
だからお一人お一人傷や内容は違って当たり前です。
でも、どんつきで見つけるものは少しの違いだけではないか…とも最近では思っています。

できることなら、このブログは
大人としてではなく 親としてではなく 子供の頃の自分になって 
そして今の自分に行きつ戻りつ
読んでいただけたらなと思います。

誰かを攻撃するために書いたものでは無いので。


最近では就活に親がついてくるけケースが多いらしい。
(中には塾の先生がそう親に指示するところもあると。
それができない親の子供はええところに就職できないとか。
ここについてはまた別の機会に。)

大学の入学式や卒業式も。

それがいけないのではない。
子供が新しい世界へ踏み込む時、見届けたい親の気持ちもわかります。
私は自分の子供達には高校から先はついて行ってないけれど。
行きたい親御さんの気持ちは否定しません。

問題があるとしたら子供の未来を案じ、親が進学先や就職先を決めてしまうことです。
問題があるとしたら親に経済力がない場合、子供が進学を諦めてしまうことです。
(親の経済力が無いことが悪いわけではありません。)
問題があるとしたら若い子供たちが奨学金制度を使ったとしても
あの年齢で社会に出たら、いきなり何百万という借金を背負った状態で働くということです。


彼らは日本経済を支え、この先の日本を守っていく人達です。

親が仕事を決めるとはどういうことでしょう?
親の経済力で子供の将来が決まってしまうとはどういうことでしょう?
日本の奨学金制度は親の収入次第で出されないこともあります。
(仮に収入があったとしても
営業協力という形で収入の大半を会社に吸い取られるサラリーマンも多いというのに…

子供が行きたい大学や専門学校に対して親が前向きではなく
別の進学先なら行かせてあげると言われたら
その子はどうすべきか悩みます。

(そもそも、なんで親が学校を決めるのか?
例えば偏差値がいくつ以上の大学。
家から通える範囲の大学。
専門学校は学歴がつかないからダメ等々。)

それでも行きたいところへ親に頼らずに自力で行くと決めたとしても
親の経済力があれば 奨学金は出ません。


その時点で成りたいものへのこの子の道は断たれてしまいます。
迂回するにも相当時間が必要です。
同時に実力をつける機会も奪われてしまいます。
(ここ数年の日本は実力がなければ転職することもできなくなってきています。
実力があるから転職できるんです。
実力をつける機会を奪われたら生きていくことは困難です。)


奨学金に話を戻しますね。
仮に出たとしても入学して数ヶ月しなければお金は振り込まれない。
振り込まれたことによって申請が降りたとわかる。
申請が降りたかどうか、その数ヶ月間不安な気持ちで過ごすことになる。
学ぶ意欲のあるこの人達のメンタルは振り込まれるまでの数ヶ月
不安で極限状態になる人もいます。
なぜなら
学費が支払いができないということは=学校を辞めなければいけない。
ということだからです。
もしそんなことにでもなったら将来絶望的です。

でもね、振り込まれたとしても月々少しずつの金額が振り込まれる。
大学も専門学校も前期・後期で支払わないといけないというのにね。
それでも足りずにアルバイトしながらの学生は多い。
これが現実。
(そして、こういう学生の親ほど子供のやることに口は出さない。
親も子も逞しいわ。)

問題なのは、そこまでしてでも自分の人生に責任を持ち、
奨学金の借金をしてでも「不足なし!」と言って勇気を持って行けない若い人達です。

親のコントロールと支配下の中で…

親の言うことが間違いないのだと
子供の進学する大学も就職先も親が決めてしまう。
内定がいくつか出て自分が一番働きたいと思う会社があったとしても
親の経験値から
勝手な判断で
親が生きてきた時代と今は違うというのに

「ここにしなさい。」と口をだす。

働くのは子供です。
ですが親は子供のためを思って仕事を決めてしまう。
これ、親のコントロールと支配です。


ある雇用主が言うてました。

親が職場まで送迎する。
車の免許は取らせない。
危ないからやめなさいと。

仕事をしていても自分で決めないといけないことが起きた時
「お母さんに聞いてみます。」
と言う。
「なぜ自分で決められないの?」と聞くと 黙る。

だから仕事中自分で判断しないといけないことが起きた時
上司に聞かないと何もできない。

親が仕事を決めてしまって
もしその職が子供には合わなかったとしたら?
代わりに親が働きますか?

何かあれば「親に聞いてみます。」と言うその子は
先に親が死ぬだろうに(多分)親が死んだ後どうやって生きていくんでしょう。

何も自分で決められないその子は自分の人生を放棄した状態です。
もし子供時代に反抗期もなかったその子は大人になってから
色んなことに気がついてアダルト反抗期が起きたとしたら
子供時代より厄介な反抗期になります。

そして何より自分で決めるプロセスの経験があまりにも少なすぎた場合
失敗の経験も少なすぎ、大人になってからの失敗は事が大きすぎて
親にだって対応できない可能性もでてきます。

その責任は誰が取るのでしょう?

もし子供は親の言うとおりにしていれば幸せ?間違いない?と思い
それが愛だと思っておられるのでしたら
それは恐らく親の生い立ちからくる心の傷が勘違いを起こさせていると私は思っています。

うまく愛せないのはあなたのせいではありません。

良かれと思って…
この子の為…
これが良いに決まってる…

それを使用する本人不在の中で親が勝手に決めた場合は大概
過去に親が欲しかったものを選択している。
親は子供のことを全て知っていると勘違いしている。

過去にランドセルの色を決める時の現場に居合わせたスタッフが
子供が親がいる前で答えた色と
親のいないところでもう一度聞き直した時では
全然違う色を答えたというアンケート結果がある。(過去にNHKで観ました。)

子供はどの子も母親が好みそうな色を言います。

子供は親を喜ばせたいと思うからです。
親が嬉しそうに笑う顔が見たいからです。

ですが本心と違うものを選んでいる事実を知っても
あなたは子供に親(自分)が良いと思う色を選ばせたいと願いますか?

もし逆ならどうですか?

子供が好きな色を選んで嬉しそうにランドセルを背負う姿と
それとも
親の意を汲んで本当は違う色が良かった気持ちを隠して
無理やり嬉しそうにランドセルを背負う姿

どちらが見たいでしょうか?

親は子供が本当はどうしたいか言える環境を与えることではないでしょうか。

自分の心に嘘をつき続けさせることは残酷で、その人は生きてて苦しいと思います。
仮面家族?家族ごっこ?仲良し親子ごっこ?でしょうか。
でもそれをし続けていると
知らず知らずのうちに親がなんでもやってしまい決めてしまうので

自分は何も望んではいけないんだ。
自分は何も決めてはいけないんだ。

(↑これは自分の幸せさえも放棄させているのと同じことです。)
だって自分の考えは間違っているから。
だって自分は無力だから。

と思ってしまいます。
そして何も、自ら、
力強くなりたいものや
情熱を注げるものもみつけられないまま
生きて死んでいくことになります。

本当は、そんなことを誰も望んではいないと思います。

親だって自分が死んだ後、心配で心残りになると思います。

親と子供は
生きてる時代も違うというのに
子供の将来を
自分のこれまでの生きてきた小さな枠の中の
ほんのわずかな経験と知識の中だけで考えて
何が正解か、成功か、正しさか、を求め、そこに従わせようとします。


それは愛ではない。と私は思っています。

一つでも多く失敗の経験を積み
その時に自力でなんとかできたという経験の積み重ねが「肥やし」になる。

そして「どうしたいか」を聞き、そこへ向けた応援をする。

とってもシンプルだと私は思うんです。
(でもシンプルだから簡単ってわけではない。親にも覚悟が要ると思います。)

それがたとえ、子供が望む将来の道が
親も経験したことがないもので
しかも、とてつもない茨の道であったとしても
危険が伴うものであったとしても
子供がそうしたいと願うのであれば

送り出す他ないのです。

親は不安だし心配もします。

心配しましょう。
不安も抱えましょう。

そして私がそうですが
神社へ行って無事でありますようにと祈りましょう。(神社でなくてもいいんですけどね。)

親ができることなんて、たったそれだけ。

そしてそれが大きなサポートだと私は思っているし
それが愛なんじゃないかと思っています。

子供が自分自身の足で立ち
自分の力で生きていく道がそれなのであれば
子供の決めた道に口を出さず
委ね
任せ
祈るのみです。

彼らはこの世に、あなたから生を受けたその瞬間から
自分の人生を生きる権利があり
親が彼らの人生に口を出す権利は(特別な場合を除いて)最初から 無いです。


そして親自身が自分の人生を生きられていたら
それは今より容易く理解できるのではないかと。

だからまず、親からです。
親がその練習というか
その自分の歩く道を知り見つけること。

それに私が伴走を途中まで、させていただけたらと思います。


これは私の愛ではありますが
色んな愛があると思います。
だから
私はそうじゃない!
って思う方もおられるでしょう。

愛って、実は時間がたって後になってから分かることもあるように思います。
どれが正解とかないんだろうね、きっと…


長くなりました。
今回は私の持論です。
ですから正直、無責任なようですが正解かどうかは知らんです💦
ですが、どなたかの参考になれば幸いです。


カウンセリングを受けようと行動を起こすには
それ相当の勇気が必要だと思います。
その勇気、私は歓迎いたします。(^^)

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