結論から言います。義務ではありません。
前回のブログ#398 夫婦関係:熟年離婚の続きになります。
女は誰かの世話をする為だけに生まれてきたのではありません。
女は召使でもなければ家政婦さんでもありません。
もしそういうふうに扱うのなら、それ相応のお給料を支払うべきです。
タダで世話してもらおうなんて、使い倒してやろうなんて、虫が良すぎます。
女性にも自分の人生を自分の為に生きる権利がある。
一時的に子供が幼くて手が離せない時期ならまだしも
男も何歳になっても家事ができない。
何がどこにあるのかわからない。
それで最終的に困るのは自分ですよ?
妻が先に逝ってしまったらどうするんですか?
さて本題に入ります。
子供が自立したと思ったら今度は親の介護。
そういう話はよく聞きます。
タイミング的にそういう流れになりやすいですよね。
そして必然的に妻が嫁ぎ先の親を見るケースが多いと思います。
でもね、それはどういう関係性であったか?によって変わってくると思うんです。
「私が見よう」そう自ら思う人もいますからね。
それはそれで良いんですよ。
今回の話はそうじゃない、それはとても困難な方の場合のケースです。
親の介護は義務ではありません。
しかし扶養義務はあります。
ただし、その扶養義務は強制はできません。
法的に罰せられるとかありますが、それも場合によります。
※色々リンク先を載せようと思ったのですが今回はやめました。
ご自身の責任で検索して見られてください。
扶養義務とは?
経済的支援だけが扶養義務ではないです。
子供の生活が立ちいかなくなるまでの経済的支援の義務はありませんし
強制力もそこには当然ありません。
扶養義務とはまず親の経済力だけで十分に生活ができるだけのお金があるにも関わらず
余計なものを買ったりしてお金がないから支援してくれと言われたら
「それはできないけど、お金の使い方の整理を手伝う。」
これだけでも扶養義務を果たしていることになります。
それでも、何度伝えても子供のアドバイスを聞かずお金が無いと言ってきても渡す必要はないです。
また、施設に入る為の支援も扶養義務を果たしたことになります。
親の介護扶養義務は子供のパートナーにはありません!
これ、世の中の男性に強く言いたい。
(勿論全ての男性達が女性を世話係のように扱っているとは思いませんが…)
親の介護扶養義務とは、民法877条に定められており
直系血族や兄弟姉妹、親の配偶者に対して、親の介護や経済的な支援をする義務を指します。
つまり、直系血族に義務があるのです。
子供のパートナーには義務はないんですよ?
それなのに当たり前のように妻にさせている人が多いのではないでしょうか?
当たり前はそこにはありません。
感謝こそしなければいけないのではないでしょうか?
生活していく上で、妻がした方が経済的にも良いってこともあるかもしれない。
その場合、男達は妻に頭を下げ、自分ができないことをしてくれていることに感謝をし
休日は自ら出向いて交代し奥様を労わないといけないと私は思います。
そこに当たり前なんて一個もないです。
直系の子供で性的虐待や肉体的・精神的虐待を受けていたら?
今回、このブログを書こうと思ったのはこれについて思うところがあったからです。
子供と親の関係は子供が生まれた瞬間から始まる。
その関係性は親がよほど気持ちを持っていないと
親>子供 の関係性が続くことになる。
ちょっと考えて見てほしい。
人間の赤ちゃんは未熟なまま生まれてくるんです。
親の手(力)がなければ生きていけない。
子育てしていくうちに
育児の大変さ、子供は思う通りにはいかないことのストレスを親側が抱え始めた時
力で持って子供を従わせて早く終わらせようとする。
(親も人間ですからね、疲れる時もある。)
この時、親側に力があると勘違いする。
それは社会に出るまで続く。
実際子供側では社会に出た後も「その日々の檻から出られず」に苦しむことになる。
そんな子供に、親によっては虐待をし続けたり、性的暴力を与え続けたり
子供が大人になってからはギャンブルで多額の借金をして
子供に働かせて借金の返済をさせたり
兄弟の学費を代わりにアルバイトさせて払わせたり…
そういう過去がある子供に親の介護扶養義務があると?
もしそうだとしたら
親は子供に
・精神的・肉体的 虐待をしても良い
・性虐待をしても良い
・子供に自分の借金を肩代わりさせても良い
ということになります。
子供は親の道具ではありません。
子供にも人生があり、親は子供の人生の応援はしても邪魔をする権利はありません。
救済措置はあると思います。
家裁に申し立てをしてみてください。
私はこうある方に教わりました。
「親は子供を育てる義務がある。でも子供は親の世話をする義務はありません。」
親からのあの忌まわしい日々を思い出すことで日常の生活がままならず
フラッシュバックを起こし
親から離れてもなお、苦しい日々を送り続けている人がいます。
やっと発作も起きなくなり穏やかな日常が送れる日も出てきたと思ったら…
親の介護だなんて言われてもな、って思います。
その子供の人生は何なのですかね?
もう一度言います。
親の介護は義務ではありません。
そこに強制力なんて無いんですから。
負の継承を断ち切るってものすごくエネルギーを消耗します。
それでも、自分の人生を生きる為に勇気を持ってカウンセリングに来られる方を
私は歓迎しています。
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今回のブログでは親子の関係に絞りましたが
義理の親子関係でも言えます。
嫁ぎ先の義父からセクハラを受けていた。
そういう場合であっても
直系ではありませんから介護扶養義務はないにしても
頼まれることもあるかもしれませんが
断って良いです。
年老いて、もう先が短いからといって
許してあげる必要なんて
全くありません。
つまり、力も無いのに力があると勘違いし
自分が年をとって人の手を借りなければ何も出来なくなってもなお
力があると思わせたいがために
相手を威嚇しても、相手はもう自分の思う通りにはなりはしない。
そうなってから気がついても、もう遅いのです。
人との関係で、どういう繋がりを持ってきたか?
それが問われるのは自分が困ったときに分かるのです。
いくら形だけの徳を積んだところで
そんなものは徳でも何でもないのだから。