アダルトチルドレンは自分の認め方、許し方が分からない
アダルトチルドレンという言葉をブログで今まであまり書いて来なかったと思います。
だけど、実際のところほとんどがアダルトチルドレンを含む家庭の話を書いてきたなと
振り返ると思います。
今日はあえて、アダルトチルドレンという言葉を前に出して
「アダルトチルドレンの生き辛さ」について過去の私のことを交えて書いていきます。
頑張っても頑張っても自分を認めてあげられないアダルトチルドレン
アダルトチルドレンとはこういうもの。
って簡単には書けないので
今日は自分を「認めてあげられない」ことに絞って書いていきます。
自分のことをどれくらい認めることができているか?
自分ができないことも許せているか?
このブログを読まれている方はそこがなかなか難しいと感じているのではないかと思います。
・自分を許す許し方がわからない。
・自分を認める認め方がわからない。
大人になるにつれてそれが強くなっていった。
私のことを振り返ると小学中学年くらいまではそれでもまだ何とか
自分のことを認めたり、励ましたりできていたと思います。
私の母親は常に不安定な精神状態で
父親が家に居る時と居ない時では
顔が全然違っていたし
とにかく常に怒っていた。
それも鬼の形相で。
私は常に当たられ役で、ひたすら黙って聞くしかなく
「何もできない無力な人」扱いで
何か頑張ってやったとしても、それは母親の思う通りにできていないので
その時点でやったことは全て全否定です。
(そもそもまだ幼い子供が大人がやることと同じことができるわけもないし
子供が親の思う通りのことができるわけもないのですけどね💦)
4歳上に姉がいて、姉はとても頭の回転が良く
気転をきかせて何も言わなくても親の意向に沿うことができる人でしたので
(そう私から見たら思っているだけで姉は姉で苦労していたと思いますが)
構図的には私は「出来ない子」で姉は「良くできる子」
という役割分担が出来上がっていたなと思います。
だから逆を言えば
「私が良くできる子」に転じてしまったら困る人が出てくるので
私は何がなんでも「出来ない子」という役割を担い続けなければいけなかったと思います。
小学3年生あたりから哲学的なことを思うようになっていきます。
何でこの家に生まれたんだろうか?
何で生きないといけないのか?
死んだらどうなるんだろう?
そこら辺から、ほぼ毎日
学校が終わった後、家に帰ることは
『まるで陰湿な虐めに合いに行くようなもの』に思え
生き延びるために家に居場所がなくても
「部活」という理由で家に帰る時間を遅くしたり
それでも帰る時間を遅らせることくらいで
ゆっくりゆっくり帰っても家には到着してしまいます。
家に入る前は緊張し、「ただいま」を言って部屋に入った瞬間の
家族の顔や空気の重さをキャッチし
寝るまでどうやって安全に部屋に行くか。
を考えていて、1日も早くこの家から脱出したいと。
その日を楽しみに生き延びていました。
特に母親の機嫌が良いか悪いか。
これ次第で寝るまでにどう過ごせるかは
天と地程ほどの差があったわけですからね…
自己肯定なんてできるわけないんだよ
何をやっても認めてもらえないわけですし
何を頑張ってもダメ出しされるんです。
私の場合は「発達障害」を抱えていて
でもあの当時その診断はされなかったし誰も気づいていなかったので
脳の障害だけど家族は
「何で出来ないの?」
「何で聞けないの?」
「何で分からないの?」
「何でそんなに要領が悪いの?」
…になるわけですから、それ言われ続けたら流石に私自身も自分に対して
「お前はバカだな」
「勉強も出来ないし落ちこぼれだな」
「家の恥だな」
「生きてる価値ないわ」
「役立たずだな」
「全てお前が悪いんだよ」
色んな言葉を自分に言い続けるようになりました。
(特に『全てお前が悪いんだよ』
この言葉は今でも頭の中を巡ることがあります。)
つまり自分を自分で全否定するようになったんですね。
でも外では商売人の娘なので(実家は商売をしていたので)
常に笑顔で挨拶する元気一杯で愛嬌の良い人
をしてました。
「女は愛嬌。」「笑っていたら良い。」
そう刷り込まれた。
これ、誰から教わったんでしょう。
先日snsでこんな投稿しました。
筋の通らないことを言う大人がいたとして
その大人は自分では筋が通っていることを言うているつもり
では、なぜその大人は自分が言うてることは筋が通っていると思っているのでしょう?
私が思うことですから
私も誰かから見たら
筋が通ってないかもですけど😂
理不尽なことをされても
有無を言わさずに通され
言いたいことも言わせてもらえず
気持ちを聞いてももらえなかった
そんな年月が何年もあった
その繰り返しの中で
大人になったら
そういうことを下の者にしても
構わないのだと
教わったのかもしれません
いつしかそれが
「大人ならばやっても良いこと」
「それが大人というもの」
そう思うようになったとしたら
なかなかそこ自力で気付くのは
大変やろう
自分では分からないけど
何故か人とうまく関われない
その理由が分からない
この人こそ親しくなれると思ったのに
思っていた人ではなかった
裏切られた
そんな思いを抱えて生きているかもしれません
人は一人では育たないです
色んな人からの
手や口や行動から学び取って
育ちますからね
それがどんな育ちであろうと
育ち直しもできます
人は人によって
育ち直しもできるんです
だってよ!
うちのママは最初
私にあまり話しかけてくれなかったんだよ😢
(ママは何をワンコに話せば良いか分からなかったらしい)
でも今はうるさいくらい色んなこと話してくれるよ
分からなくても良いんだ!
声で大体どんな感情か分かるから!😂
ママ→えっ?💦
他人じゃなくて、まず自分を大事にされる経験の積み重ねを
不当な扱いを親だからといって子供は受けて良いわけがありません。
不当な扱いを受けた人が、どうやって他者に対して正当な扱いができようか?
弱者だった自分が受けた数々の出来事は
他者から自分の気持ちを大切にされるということを知らない。
いつも怒鳴られていた人は
人と話す時、優しい声で話す話し方を知らない。
些細な失敗でさえ厳しく怒られてきた人は
他者の些細なミスを許す許し方を知らない。
声が大きい人は
大きな声で話さないと誰も聞いてくれなかったかもしれないのです。
当たり前です。
でも、受けていなかったとしても
その育みがなかったとしても
今の年齢が何歳であろうとも
育み直すことはできます。
人は人によって育まれます。
私たち心理カウンセラーはその為に居るんだと
私は思っています。
カウンセリングを考え
お問い合わせくださるその方の勇気を
いつだって私は歓迎しています。
本日の音声配信 stand,fm
カウンセリングにクライエントさんが来られる時の目的は
それぞれだけど
カウンセラーは常にクライエントさんの「今」に注目し
心と思考の一致を大事にしております。
参考になれば幸いです。