連帯責任から団結心・助け合う心は育たない。

団結心・助け合う心はどうやって育つのか?

※クライエントさんから許可をいただきましたので投稿させていただきます。

私は50後半ですが歳が近い世代の方なら似たような経験がある方もおられるかもしれません。

小学校・中学校の頃。
連帯責任・団結して助け合う精神。

こういう言葉を先生から言われて返って友達との関係が壊れた。

今日はそんなお話です。

音読をグループで全員一度も噛まずに読みなさい。

これね、国語の授業です。
一行ずつ一度も噛まずにグループ全員が読めるようになるまで延々と音読をさせられる。

これは結構なプレッシャーですよね。

あの時代は知られていなかったでしょうけれど
発達障害の人で「読み書きが困難な特性を持つ人」にとっては地獄だったと思います。

持久走。グループで時間内に走り終わりなさい。

これは体育の授業ですね。
持久走でグループで先生が決めた時間内に走り終わるまで何度でもやらされる。

私、足が遅い人だったので、もしこれをやらされたら地獄でしたね。

走れば走るほど体力は奪われて行くでしょうしね…

連帯責任とは

民法第719条 一部引用
(共同不法行為者の責任)第719条

  1. 数人が共同の不法行為によって他人に損害を加えたときは、各自が連帯してその損害を賠償する責任を負う。共同行為者のうちいずれの者がその損害を加えたかを知ることができないときも、同様とする。
  2. 行為者を教唆した者及び幇助した者は、共同行為者とみなして、前項の規定を適用する。

ちょっと硬いので、もっとわかりやすい記事がありました。

部活や運動会で「連帯責任」(その1) 一部引用
法的に意味が違う。
このような連帯れんたい責任せきにんわれる場面ばめんについて、どもけに法律ほうりつ解説かいせつする記事きじ

「どうなってるんだろう? どもの法律ほうりつ
をウェブじょういている弁護士べんごし山下やました敏雅としまささんにきました。

法律ほうりつ言葉ことば連帯責任れんたいせきにんは、
だれかに複数ふくすうひと損害そんがいあたえてしまった場合ばあい一緒いっしょ責任せきにんうことです。

たとえば、相手あいてに300まんえん損害そんがいを3にんあたえてしまった場合ばあい
平等びょうどうに100まんえんずつはらうか、割合わりあいえるかは3にんめるとして、
「3にんでやったことだから3にんみんなで被害者ひがいしゃに300まんえんはらう」のが連帯責任れんたいせきにんです。

学校がっこうおこなわれるような1ひとりがやったことで全員ぜんいんおなばつけることとはちがうと、
山下やましたさんは指摘してきします。


連帯責任という本当の意味を知ると…

連帯責任という本当の意味を知ると…これおかしいなって私は思う。

一人が音読を噛んだことで延々とやり直しをさせられるのは連帯責任なんだろうか。
先生が決めた時間内に走れないことは連帯責任として時間内に走れるまでやらされる。
これも連帯責任なんでしょうか???

噛んだことで、「あいつが噛んだからや。」
時間内に走れないのは、「あいつが足遅いからや。」

こうして仲が良かった関係性に亀裂が起き分断される。
(そんなことで友情に亀裂が入るのは元々友達ではない。
なんて言うのは、ちょっと待って。
生徒達にとって今の関係性が学校生活の中心ですから。)

それによって、助け合う精神どころか、やりたくもないことを延々とやらされる。
怒りがぶつかり合う。

この授業の目的な何なんでしょう?

連帯責任とは不法行為によって他人に損害を加えた時とある。

この音読と持久走の授業では誰がどこで不法行為をしたのでしょう?

助け合う・団結する。

お互いが、皆が、同じ方向を向き
それに向かって行くために得意分野をそれぞれが活かしながら
助け合い、失敗しても攻めるのではなく協力し助け合い
励まし合って目的に向かって達成していく。

まずそこを指導する人が大前提として伝え、「失敗」や「責任」というものを
ネガティブなこととして伝えないことが大事かなと思います。
そうすることで心理的に重く受け取らずに、安心と安全を確保できる事にも繋がります。

責任は大事。だけど失敗したり問題が発生したら
すぐに皆に共有して助け合えば良いんだという事です。

社会に出る前に準備機関として学校がある。
その学校で大きな行事として、文化祭、運動会、こういったものから学び取り
社会に繋がって行くと良いなと思うんです。

運動会では障害物が得意な子、リレーでは走るのが速い子が活躍して
綱引きでは力がある子をどの位置にして掛け声を合わせて…と。
そのデーターや研究が得意な子がリレーや綱引きで活躍する場があるのも良いですね。

文化祭では歌が好きな子、得意な子。
飾り付けが好きな子。
出し物で料理が好きな子が集まって何を出すか分担する。


よって、連帯責任から団結心・助け合う心は育たない。←持論です。

そもそも連帯責任から団結心や助け合う心は言葉の意味が繋がらないので。
目標に向かって心を一つにして共に手を取り合う。
これには↑誰かを攻めたり攻撃したりという言葉ではなく
助け合う。という言葉がキーワードなんだと思います。

もちろん、その学びの中のプロセスに、
難なくできる子と、できない子がいて
そこで、ぶつかり合うこともあるでしょう。
だけど、難なくできる子が、自分には何でも難なくできる訳ではなく
自分にできないことが難なくできる人がいることを知る経験も起きるでしょう。

それが学校生活の学びなんだと思うんです。

そういう学びの場が人を成長させるんだろうと思います。

できる人ができる時に一人に背負い込ませないこと。

出来ればこういう学びは早い時期に学べると良いなと思うんです。
高校・大学・専門学校。
この辺りだと、
足の引っ張り合い。
一人(または一部)に負荷が掛かる。
起こりがちです。

失敗を良しとされなかった。
責任を全うできずに攻められた。

そういう経験が多ければ多いほど
責任ある立場になりたくないと思う心が芽生えても不思議ではありません。

攻める人もいたけど、助けてくれる人も多くいた。

そういう経験ができたら良いですね。


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