自分を責める場所から、少し離れられるようになるまで
人間関係の中で、相手の反応や機嫌を気にしすぎて、
自分の気持ちがわからなくなってしまうことがあります。
それは幼い頃からの親子関係(だけではないこともありますが…)で
生き延びるために使ってきたアイテム(手段)が
「そろそろ使用期限が近づいていますよぉ〜」
と教えてくれているサインかもしれません。
そのアイテムは今まであなたを守ってきてくれたアイテムです。
いきなり手放すなんてことは怖くてできなくて当たり前なんですよ。
だって、お守りと同じですからね。
少しずつ進んだらいいんです。
行きたくない場所に行って、うまく人と関われなかった時。
「また私が悪かったのかな」と、自分を責めてしまうことがあります。
けれど本当は、そもそもその場所が自分にとって
安心できる場所ではなかったのかもしれません。
今日は、自分の感覚を少しずつ取り戻していくことについて
書いてみたいと思います。
このテーマを考える中で、これまでのカウンセリングの中で
心に残った言葉があります。
「最近、人を観察できるようになった。」
その言葉を聞いた時、私はこんなふうに感じました。
これまでは、
相手から自分がどう見られているのか。
どう受け止められているのか。
どう思われているのか。
そこに意識が向きやすかったのではないかと思うのです。
けれど今は、少し変わってきた。
・この人が今こうなのは、背景に何があるんだろう。
・この人は、私にとって安心できる相手なのだろうか。
・この関係性は、私を傷つけ続けるものではないだろうか。
そんなふうに、自分を責める前に
相手のことや関係性を
少し距離を置いて見られるようになってきたのではないか…と感じました。
そのことをお伝えすると、
「そうです、そうです」
と言っておられました。
これは、とても大きな変化だと思います。
人を観察できるようになるというのは、
ただ相手を見る力がついた、ということだけではないと思うのです。
それは、
「自分を守るための感覚が少しずつ戻ってきた。」
ということでもあるのだと思います。
人を観察するというのは、
「相手を疑って見る。」
ということではありません。
「相手の機嫌に飲み込まれず、
自分の感覚も同じように大切にする。」
ということなのだと思います。
これまでは、
相手が少し不機嫌そうに見えたり
イラッとした表情を見せたりすると
「あれ?私、何か悪いことを言った?」
「言った私が悪かった?」
「言わなければよかった?」
と、自分の方へ自分の方へと責任を引き寄せてしまっていた。
けれど、今は少しずつ、
「これは本当に私が背負うことなのだろうか?」
「相手の反応まで、私が全部引き受ける必要があるのだろうか?」
と思えるようになってきた。
それは、
「自分を責める場所から
少し離れられるようになってきた。」
ということなのだと思います。
もう一つ、心に残った言葉がありました。
「自分が行きたくもない所に行って、うまく人と関われるわけがない。」
(もちろん時と場合によっては行かなければいけない時もあるでしょう。
今回は「行かない選択も自由もあるのに…」という場合です。)
この言葉も、とても大切な気づきだと思いました。
・行きたいから行くのではない。
・会いたいから会うのではない。
・そこに居たいから居るのではない。
けれど、
・行っておかなければ不安。
・顔を出しておかないと何か言われるかもしれない。
・断ったら関係が悪くなるかもしれない。
・行かなかった自分が悪いと思われるかもしれない。
そんな不安から、自分の気持ちを後回しにして
その場所へ向かってしまうことがあります。
でも、自分の心が本当は行きたくないと感じている場所で
うまく人と関わろうとするのは、
とても苦しいことです。
そこにいるだけで
・心が緊張している。
・相手の顔色を見ている。
・失敗しないように気を張っている。
・嫌われないように振る舞っている。
そんな状態で、自然に人と関わることはとても難しいものです。
それなのに、うまく関われなかった時、
・「また私が失敗した」
・「またうまくできなかった」
・「またやってしまった」
と、自分を責めてしまう。
でも本当は、そもそもその場所が自分にとって
安心できる場所ではなかったのかもしれません。
機能不全家族の中で育つと、自分の気持ちよりも
家族の空気や誰かの機嫌を優先することが当たり前になってしまうことがあります。
生い立ちの中で、幼少期に家の中を
安心できる居場所として感じられなかった時間が長かった。
誰かの感情に責任を持ち続けてきた。
そういう経験があると、自分の感覚よりも、
相手の反応を優先することが身についてしまうことがあります。
・理不尽だと感じていても、そこに居続けなければならなかった。
・嫌だと思っていても、うまくやらなければならなかった。
・傷ついていても、平気なふりをしなければならなかった。
傷ついていないふりを覚えてしまう時
私自身も、近しい関係の中で
傷ついていないふりをしていた時期が長くありました。
言葉で傷つけられることが日常のようにあっても
そこで傷ついた自分を見せることは、私にとっては
負けを意味していました。
・「傷ついた」と見せたら、相手の思う通りになってしまう。
・「効いている」と知られたら、さらに何かされるかもしれない。
だから絶対に見せたくなかった。
本当は傷ついていたのに。
本当は悲しかったのに。
本当は悔しかったのに。
それでも、平気なふりをするしかありませんでした。
「相手の思う通りになんか、なってやらない!」
それが、その時の私にできる精一杯の自分の守り方だったのだと思います。
具体的にどんな出来事があったのか、一つひとつは思い出せないこともあります。
でも、それは出来事が軽かったからではなく、
あまりにも日常の中にありすぎたからなのだと思います。
特別な一回ではなく、日々の中で繰り返されていた空気。
その中で、傷ついた自分を隠しながら生きていた。
そんなふうにして、傷ついていないふりを覚えていくこともあるのだと思います。
そして、そこでうまく関係を保てなかった自分を、
「私が悪かったんだ」
「私がちゃんとできなかったんだ」
と思ってしまう。
その時の立ち位置が、今の人間関係の中でも繰り返されてしまうことがあります。
・相手の負の感情の吐き出しを受け止める役。
・相手の機嫌を取る役。
・相手の理不尽を引き受ける役。
・まるで、感情のゴミ箱のような役。
本当は嫌なのに。
本当は苦しいのに。
本当はそこから離れたいのに。
それでも、離れることは悪いことだと思ってしまう。
・離れる自分が冷たいのではないか。
・離れる自分が未熟なのではないか。
・離れる自分が人とうまく関われないからではないか。
そんなふうに、自分を責めながら、その場所に居続けてしまう。
でも、そういうことを平気で自分にしてくる人から離れることは
決して悪いことではありません。
それは、自分を大事にすることにつながります。
・自分を雑に扱う人から離れる。
・自分の心を傷つけ続ける場所から距離を取る。
・違和感を感じた時に、その違和感をなかったことにしない。
それは、逃げではなく、自分を守る力なのだと思います。
もちろん、
すぐに関係を切らなければならない。
ということではありません。
ただ、自分が苦しくなる関係性に気づき、距離を見直していくことは
とても大切なことだと思います。
最初からそう思えるわけではありません。
今でもまだ少し、違和感を感じた時に、
「これは私がダメだからかな?」
と思ってしまうこともあるかもしれません。
けれど、少しずつ、
「いや、これは私が背負うことではないのかもしれない」
「相手の反応まで、私が引き受けなくてもいいのかもしれない」
「私はここに居続けなくてもいいのかもしれない」
と思えるようになっていく。
その変化は、とても大きいものです。
たとえば、相手が以前言っていたことと違うことを言ってきた時、
「以前はこう言っていましたよね?」
と確認することがあります。
すると、相手がイラッとした表情を見せることがある。
以前なら、その瞬間に、
「あれ?私、何か悪いことを言った?」
「確認した私が悪かった?」
「言わなければよかった?」
と猛反省していたかもしれません。
けれど今は、
「それは違うよね?」
と思えるようになってきた。
・相手の矛盾を確認しただけで、相手が不機嫌になる。
・その不機嫌さまで、自分が引き受ける必要はない。
そう思えるようになることは、
自分の感覚を信じ直していくことでもあります。
自分の感覚を取り戻していくということ
長い時間をかけて、少しずつ少しずつ、心は変化していきます。
「最初の数年は、なかなかわからなかった。」
とおっしゃっていました。
それも、そうだと思うのです。
奥に押し込めてきた感情は
一気に引き出せばいい。
…というものではありません。
・長い間、感じないようにしてきたもの。
・見ないようにしてきたもの。
・気づかないようにしてきたもの。
それらは、急に引き出すと
心への負担が大きくなりすぎることがあります。
だから、少しずつでいいのだと思います。
・急がなくていい。
・すぐにわからなくてもいい。
・何度も同じところを行ったり来たりしてもいい。
その人の心が耐えられる速度で、少しずつ進んでいくことが大切なのだと思います。
・人を観察できるようになる。
・自分の違和感を感じられるようになる。
・行きたくない場所に行かない選択ができるようになる。
・自分を雑に扱う人から離れてもいいと思えるようになる。
それは、自分勝手になることではありません。
それは、自分を大切にする感覚を取り戻していくことなのだと思います。
これまでずっと、相手の顔色を見てきた人ほど、
自分の感覚を信じることが難しいことがあります。
でも、少しずつでいい。
「あれ?これは苦しいな」
「この人といると、私は自分を責めてばかりいるな」
「この場所にいると、私は私でいられないな」
そんな小さな違和感に気づくところから、
自分を大切にする道は始まっていくのだと思います。
行きたくない場所で、うまく人と関われなくてもいい。
そこに居続けられない自分を、責めなくてもいい。
離れることが必要な関係もあります。
そして、離れた先で初めて、
「ああ、私はずっと苦しかったんだ」
と気づくこともあるのだと思います。
・行きたくない場所へ行かないこと。
・違和感をなかったことにしないこと。
・自分を雑に扱う人から、少し距離を取ること。
それは、人を拒絶するためではなく、
自分の感覚をもう一度信じていくための一歩なのだと思います。
執筆:家族関係の心理カウンセラー 藤田侑杏恵
stand.fm配信 #468
親子関係や家族関係の中で、相手の感情を優先することが当たり前になっていると、
大人になってからの人間関係でも、自分の気持ちより相手の反応を
優先してしまうことがあります。
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※音声配信は脱線しながらブログを読み上げて語っておりますが
ブログ記事は後日加筆修正されることがあります。


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