夫婦関係|なぜ私は「もういい」と、言葉を引っ込めるようになったのか #479

「何かあった時って何?」と聞かれて、私は言葉を引っ込めた

前回の記事で、結婚して間もない頃、夫が同僚とスキー旅行へ行った時のことを書きました。

→前回の記事はこちら
「私が『行き先を教えて』と言った理由 #477」

私は夫に、「行き先や宿泊先をメモに書いて置いていってな」と頼んでいました。
でも夫から返ってきたのは、

夫:「なんで教えやなあかんねん」
私:「何かあった時のために……」
夫:「何かあった時って何?」

その先にも、私には言いたいことがありました。
でも私は、それ以上説明しませんでした。

前回の記事では、
「何かあった時のために」なんて、縁起でもないことまで口にしたくなかった。
と書きました。
それも確かにあった。

でも今だからわかることですが

それだけではなかった。

説明するほど、否定される材料が増えていく

私はそれまでの人生の中で、
自分が感じたことや考えたことを伝えても、大切に扱ってもらえない経験をしてきました。

自分の気持ちを分かってもらおうとして、説明する。
でも、説明すればするほど、

こちらが差し出した言葉が、
今度は自分を否定したり、論破したりするための材料として返ってくる。

相手の物差しが基準になっていて、
私が何を感じるか、何を考えるかまで、その物差しから外れれば否定される。

「それはおかしい」
「そんなふうに考える方がおかしい」
「普通はそう思わない」

とされてしまう。

そんなやり取りが繰り返されると、
最初は、
「どう説明したら分かってもらえるんだろう」
と考えていたのに、
だんだん、

「説明しても、どうせ伝わらない」

と思うようになっていきます。

それでも何とか伝えようとすると、

「また否定されるかもしれない」
「ちゃんと説明しなければ」
「分かってもらわなければ」

と、頭の中がいっぱいになる。

押さえつけられるような感覚に抵抗しながら、必死で言葉を探す。

すると、うまく整理できないまま話してしまったり、
話があちこちに飛んでしまったりすることもありました。

そして今度は、
「会話が成立しない」
と言われる。

そんなことも繰り返してきました。

「もしかしたら、私がおかしいのかもしれない」

こういうやり取りが続くと、
「分かってもらえない」
だけでは終わらないことがあります。

だんだん、
「やっぱり、私がおかしいのかもしれない」

と、自分の感じ方まで疑うようになる。

私の場合は、そうでした。

もちろん、誰もが同じようになるわけではありません。
でも私は、

自分が感じていることよりも、相手の物差しの方が正しいのではないか。
自分が気にしすぎなのではないか。
私の考え方がおかしいのではないか。

そんなふうに、自分の感覚を疑うようになっていきました。

そうなると、

言いたいことがなくなったわけではないのに、
言葉を出す前に、

「もういい」

と引っ込めるようになります。

あの時の、

「何かあった時って何?」

という夫の言葉に対しても、
私は、その先を説明することをやめました。

つまり
あの時だけ突然、言えなくなったのではありません。

それまでに積み重ねてきたものがあって、
私はもう、
「説明しても分かってもらえない」
というところに立っていたのです。

相手の気持ちを大切にすることと、自分の気持ちを引っ込めることは違う

火曜日の記事で、
「相手の気持ちを大切にすることと、自分を後回しにすることは違う」
ということについて書きました。

→火曜日の記事はこちら
「相手を大切にするほど、自分を後回しにしていませんか? #478」

夫には夫で、
「どうしてそこまで行き先を伝える必要があるのか」
と思う気持ちがあったのかもしれません。

それは、夫の気持ちです。

でも同時に私にも、
「何かあった時に、家族として連絡が取れるようにしておきたい」
という気持ちがありました。

本当は、
どちらか一方を消す必要はなかったんですよね。

夫がそう思うことと、
私がこう思うこと。

その二つは、同時にそこにあっていい。

でも私は、相手の反応を見た時に、
自分の気持ちの方を引っ込めたんです。

私の気持ちも、その場に置いておいてよかった

相手と自分の考えが違う時、
どちらか一方が間違っているとは限りません。

私はこう感じている。
あなたはそう感じている。

その二つが違っていてもいい。

相手が納得してくれないからといって、
自分が感じていることまで、なかったことにしなくていい。

自分の気持ちを大切にするということは、
自分の考えを相手に押し通すことでもありません。

相手の気持ちを聞きながら、
自分の気持ちも、その場から下ろさないこと。

私は今、あの頃の自分を振り返って、そんなふうに思います。

私はこう思う。
あなたはそう思う。

本当は、その二つを同じ場所に置いておくところから、
話し合いは始まる。

自分の気持ちが分からなくなっている時

長い間、

「私が気にしすぎなのかな」
「私がおかしいのかな」

と、自分の気持ちを引っ込めることを繰り返していると、
今度は、

「私は本当はどう感じているんだろう」
「私はどうしたいんだろう」

ということまで、自分でも分からなくなることがあります。

相手が正しいのか。
自分が正しいのか。

どちらかを決めれば答えが出るとは限りません。

カウンセリングでは、
どちらが正しいのかを決めるためではなく、
これまでの関係の中で何が起きていたのか。
その時、自分は何を感じていたのか。
どうして言葉を引っ込めるようになったのか。

そんなことを、一緒に見ていきます。

例えば、誰かから、

「こうすればいい」

と答えを教えてもらうことで「やり方」が分かり、
そのまま行動に移せることもあると思います。

そして、その方法が自分に合っていて、うまくいくこともあるでしょう。

でも、その答えが自分の中で腑に落ちていない場合は、
実際に動こうとしても、なかなか力が入らないことがあります。

だから私は、
答えを渡すことだけではなく、

その人自身が
「私はどう感じているのか」
「私はどうしたいのか」
を確かめていく過程も大切にしたい

と思っています。

自分の気持ちを少しずつ確かめながら、
自分はこれからどうしたいのか。

その答えを、カウンセラーのサポートを受けながら自分で見つけていく。

私は、そうやって自分なりの答えを見つけていく過程を支えることも、
カウンセリングの大切な役割だと考えています。

自分の中で腑に落ちた答えには、行動する力も入りやすくなります。

そして、
自分の気持ちが分かって、

「私はこうしたい」

と言葉にできるようになったとしても、

そこで全てが解決するとは限りません。

関係には、相手がいるからです。

やっと自分の気持ちをその場に置けるようになったとしても、
今度は相手から、

「自分には必要だと思えない」

という理由だけで、その気持ちや困りごとを退けられてしまうこともあります。

自分には必要なくても、
相手には必要なことがあります。

夫婦シリーズの次回では、
「自分が必要ないと思えば、相手も困らないのか」

ということについて、もう少し考えてみたいと思います。


執筆:奈良県生駒市の心理カウンセラー 藤田侑杏恵
stand.fm配信 #479


「どうせ分かってもらえない」と、自分の気持ちを言葉にすることを諦めていませんか。

否定される経験が重なると、自分の感じ方まで疑い、
「私は本当はどうしたいんだろう」と分からなくなることがあります。

奈良県生駒市のカウンセリングルーム「温もりを求めて」では、
親子関係・夫婦関係・人間関係・機能不全家族・アダルトチルドレン・トラウマ
などのご相談をお受けしています。

カウンセリングでは、誰かの正解を当てはめるのではなく、
これまで何が起きていたのか、今どんな気持ちがあるのかを一緒に見ながら、
ご自身がこれからどうしたいのかを見つけていく過程を大切にしています。

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本日の音声配信 stand.fm

「もういい」と言葉を引っ込める時、
本当に言いたいことがなくなったとは限りません。

何度説明しても否定されたり、
自分の感じ方まで「おかしいのかもしれない」と疑うようになったり。

そんな積み重ねの中で、
言葉を出すことそのものを諦めてしまうことがあります。

今回の音声では、
私自身の経験も振り返りながら、
自分の気持ちを言葉にできなくなっていくことについてお話ししています。

カウンセリングでは、
「どちらが正しいか」を決めるのではなく、
その人が今どう感じているのか、
これからどうしたいのかを一緒に整理していくことを大切にしています。

参考になれば幸いです。

※音声配信は脱線しながらブログを読み上げて語っておりますが
ブログ記事は後日加筆修正されることがあります。


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