親子・夫婦・人間関係。誰の心にも宝石を持っておられます!ホンマやで!

表面に出ているものは本物ではないです。

本当の自分は簡単には出てきてくれない。

今日は子供達に読み聞かせしていた本のご紹介です。
この本の中に出てきた一文

「人が心の中にどんな宝石を持っているか、外からは簡単にはわからないでしょう。」

この本を読み聞かせした当時はカウンセリングも受けていなかったし
心理のことはよく分かっていなかったけれど。
この一文は響いた。
そしてこの本の2冊ほど

言葉一つ一つを大切に感じながら読んだ本はないです。

ここでちょっと質問です。
例えば本当の思いがあるんだけど、そこ言うのは気恥ずかしいから
別の形で相手に話をしたことはないですか?

駆け引きとかもそれに近いですよね。

自分の弱さを隠すためにっていうのもあるよね。

隠している「それ」は私の経験上ですが、とっても美しかったりします。

例えば子供が帰ってくるのが遅くてヤキモキしているんだけど、グッと堪えていて
帰宅した途端、一気に感情が爆発して

「何時やと思っとるんや!!!」

って。怒鳴ってしまう。

本当はとっても心配していて不安で不安で仕方なかったんだけど…
無事な姿見たら抱きしめるより先に怒っちゃったみたいな😅

本当は「とても心配しとったんやぞ。無事でよかった。」
そう言って抱きしめたい。じゃない?

でもそれ、なかなか気恥ずかしくて日本人はできないって人もいるんじゃない?

人は誰かのために何かしら生きる力を得る。

美しい話はなかなか受け入れにくいものです。
だけど自分が実際に体験したり体感することで「美しい」=「拒否」「否定」「拒絶」とはならない。
愛されてこなかったと感じている人にとって
「愛」という言葉は吐き気もするし薄気味悪く感じたりもする。
「愛」という言葉自体に猛烈なアレルギー反応が出たりもします。

過去の私がそうでしたから言うてます😆

だけど知ってしまえたら、すんなり受け入れることができるんですね。
「知る」とは、それを「体験し体感した。」という経験です。

親だけが「愛」を与える人ではないです。
親や兄弟姉妹から受けられなかったとしても「愛」を知ることはできます。

例えばボランティア活動なんて全く興味なかった人が
震災を経験し復興の中で沢山のボランティアの方々に助けられ
生き続けることができた経験があると
どこかで震災が起きた時、今度は自分がボランティアに行きたくなると言います。
そして実際に行動に起こされます。
他人から受けた愛をどこかで与えたくなるからね。
その愛を知ったから。

世間一般的に悪ガキやと言われている子供は好きでそうなっていない。
本当はもっと別の姿であり、そのキャラで生きなければ仕方なかっただけのこと。

そして、その姿で踏ん張って生き続ける姿は私には健気にも感じます。

私のスタエフを聴いてくださった「セーラジ」さんが
以下のようなコメントを書いてくださっております。


本人も無自覚だからこそ分かりにくい✨
表面化して顕在化してないだけで存在する宝石💎
見えてないだけで存在している可能性を信じて探す気持ちを大切にしたいです💗
By S’ay la zy.セーラジ関東


私も、そう思います。

(それが相手を理解しようとすることでもあるし
例え理解できなかったとしても、理解しようと気持ちを向けてもらった時間が大事。
理解しきれなかったとしても、「君はそれでOKなんだよ。」
と伝えられ、そばに居続けてもらえたことが癒しになる。)



その存在を見つけられたなら、きっとその子は
自分の生き方、人生を「自分で生きる力を得る。」と私は思うのです。

2023/2/13 配信 stand,fm

「人が心の中にどんな宝石を持っているか、外からは簡単にはわからないでしょう。」

ホンマにそう思います。

だけど、あなたも私も誰もが心の中に宝石あるんですよ!

てお話しです。

<引用>
かはたれ散在ガ池の河童猫
朽木祥 作
山内ふじ江 画
福音館書店
2005年10月31日初版発行

たそかれー不知の物語
朽木祥 作
山内ふじ江 画
福音館書店
2006年11月30日初版発行

「人が心の中にどんな宝石を持っているか外からは簡単にはわからないでしょう」
引用

カウンセリングを受けようと行動を起こすには
それ相当の勇気が必要だと思います。
その勇気、私は歓迎いたします。(^^)

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